令和4年1月
「年中行事」お参りしましょう
- 新年祝祷会
- 1月1日(土)~3日(月)10時
- おたきあげ法要【ライブ中継】
- 1月4日(火)10時
仏壇、お墓を整理し、おたきあげの品をお持ちください - 春季彼岸中日法要・寂静の杜供養祭【ライブ中継】
- 3月21日(月)14時(供養祭15時)
- 永代頓写大法要【ライブ中継】
- 4月17日(日)午前・午後の部
永代加入霊の合同供養祭 - お迎え盆法要【ライブ中継】
- 7月16日(土)18時
- 盆せがき法要【ライブ中継】
- 7月18日(月・海の日)10時
- 秋季彼岸中日法要・寂静の杜供養祭【ライブ中継】
- 9月23日(金)14時 (供養祭15時)
- 宗祖御報恩会式・法灯継承式【ライブ中継】
- 11月23日(水)13時
- 歳晩会・除夕の鐘(地域参加行事)【ライブ中継】
- 12月31日(土)14時(除夕の鐘は15時~)
※そば処「はづき」の年越しそば(限定108食)
※お子様にはお守りを差し上げます
ご予定にお加えくださるようお願い致します。
ご遺文を読む
解説
日蓮聖人は、文永八年(一二七一)九月十二日鎌倉幕府の手によって、竜ノ口(たつのくち)刑場に引き出されます。この時、聖人は斬首(ざんしゅ)を免れますが、北海の孤島・佐渡ケ島へ流罪となられます。この法難は聖人だけに止まらず、弟子たちにも及ぶ最大の受難となりました。この一節は、聖人が明日は佐渡へ発つという前夜に、受難によって鎌倉の土牢に囚(とら)われていた愛弟子・日朗(にちろう)たちへ差し出された、慈愛あふれるお手紙であります。
現代語訳
私はいよいよ明日、佐渡ケ島に流されることになりました。今夜は寒さがきびしく、家の中でさえ耐えがたいほどであります。ましてや火の気のない、暗く、冷たい土牢に囚われている、そなたたちのことを思うと不憫でなりません。
ああー、そなたたちは法華経のすべてを口で唱え、意〈心〉で信じ、身をもって読まれた尊いお方でありますから、その功徳は、父母はもちろん、妻・子・兄・弟等の六親をはじめ、一切の人々をも救われる御身であります。
世の中には法華経を読誦する人は大勢いますが、そのほとんどの人は口に読むだけか、言葉では読みますが、心底から信じて読む人はいません。たとえ心から信じて法華経を読んだとしても、法華経の経文の通りに身をもって読む人はいません。それなのにあなたがたは、いま心に深く法華経を信じ、命を惜しまず法華経のみ教えを身で読まれています。このことは本当に尊いことであります。
「歳晩会(さいばんえ)・除夕の鐘(じょせきのかね)」にご参加ください
~参加の皆様に、手打ちそば「はづき」が年越しそばを提供いたします~
日 時 : 歳 晩 会 令和3年12月31日14:00~
除夕の鐘 令和3年12月31日15:00~
令和2年の大晦日に予定されていた『歳晩会・除夕の鐘』は、コロナ感染拡大を受け檀信徒や地域の方々への呼びかけを中止し、お寺の関係者によって行いました。
令和3年はコロナ対策を施し、通常通りに本堂において歳晩会を行い、その後、除夕の鐘を行います。『除夜の鐘』から皆様が出やすい『除夕の鐘』に変更して5年目を迎えました。大鐘をつき1年の締めくくりと新年への祈願をしていただければと思います。
また、一昨年と同様に、除夕の鐘に参詣された皆さんにミシュランガイド広島に掲載された人気のそば処[はづき]さん(尾道市原田町)の年越しそばを提供(108食限定・無料)させていただきます。別メニューとして子どもさんにはお守りも用意しています。皆様のご参詣をお待ちしております。
文章:寄高基生(広報部委員)
徒然なるままに(2)
『こころを鎮める』
季節の変わりを知らせるかのように、庭の彼方此方に彼岸花が芽を出し咲き始めてきた。今年の彼岸中日法要は、例年の本堂・位牌堂・寂静の杜墓苑でのお勤め後、墨象家による揮毫実演が予定されて、数日前からこの打ち合わせや準備が進められていた。
その法要後、五畳余りもある長方形の緋毛氈が、本堂の外陣中央に布かれるなど、その準備も整って、参詣者は実演の時をいまかいまかと待っている。法要に続きライブ中継を担う役員は、いつになく緊張の面持ちでカメラを手に、揮毫場面をどう伝えようかと待ち構えている。
住職は墨象家一家を席に案内すると、役員・檀信徒と共に、仏祖三宝諸尊に揮毫奉納と、外林家ご先祖に法味を捧げる。鏡座にのぼった一家の面々は丁重に香を献じ、参詣者と共にお題目をお唱えするのであった。そして住職は参詣者一同に墨象家・外林省二氏ご一家を紹介して、当山との不思議なご縁を語るのであった。それは平成九年に当山が鷲峰会館を新築の際、この設計者・豊田一樹氏は長廊下の壁面がさみしいと、親交の深かった外林氏に染筆を依頼して、法華経如来寿量品第十六
「我(わ)が此土(このど)は安穏(あんのん)にして 天人常(つね)に充満(じゅうまん)せり 園(おん)林(りん)もろもろの堂閣(どうかく) 種々の宝をもって荘厳(しょうごん)し 宝樹華果(ほうじゅけか)多くして 衆生の遊楽(ゆうらく)する所なり 諸天(しょてん)天(てん)鼓(く)を撃って 常にもろもろの妓(ぎ)楽(がく)を作(な)し 曼陀羅(まんだら)華(け)を雨(ふ)らして 仏及び大衆に散(さん)ず」
の一節を扁額に収めて、如来の教えを掲げてくれたのであった。あれから二十有四年、今は故人となって久しい豊田氏が引き寄せてくれたのであろうか、外林家との不思議なご縁はこのたびまた重ね深められて、この日の揮毫奉納となったのである。濃紺とエンジ色の作務衣に身をつつんだ外林氏は、この住職の話に笑みを浮かべながら何度も頷くのであった。そしてマイクを渡された外林氏は、書道の流れの大凡を話され、自らのこころの様を語ったのである。
そしてこの日のために手に余るような羊の穂先の筆や、用意した墨汁に、当山の浄水を硯に移し、自らの念(おも)いを込めるように墨をすり下ろし、注ぎ足すのであった。
緋毛氈を前に大きさが二尺に一尺五寸ほどもあろうか、手に厚みを感じる人間国宝・岩野市兵衛氏製作の手漉き和紙を取り出して、丁寧に一枚取り出してはひろげ、また一枚間隔を揃えながらひろげて、用紙の上部両隅に文鎮をあるいは斜めに、あるいは横に置いていくのである。その和紙の左下隅には人間国宝岩野老の制作を証す小判型の落款が押されている。やがて五枚の用紙が等間隔に並べられると、揮毫文字の「臨終正念」を脳裏に描きながら、外林氏は立ち上がって再度その紙面をみつめるのであった。自らの構想を確かめているのであろう。そして膝を突き正座し直すと、筆の穂先に墨鉢の墨汁を染みこませるように、何度も何度も繰り返し浸すのであった。そしてこころを鎮めるかのように、また文鎮の位置を置き換え、用紙を凝視するや、墨滴がしたたり落ちるほどの筆を手に、別人のような厳しい形相で力強く、あるいは優しく丁寧にと筆を運ぶのであった。堂内は緊迫感が漂う中で、その筆遣いに我を忘れて注視する顔と感嘆の息遣いが充満するのであった。
檀信徒の声
地区役員・広報部副委員長 石井幹夫氏
私が護持会でお世話になってから既に四年が経過します。きっかけは母親が他界した際に先代住職からお勧めがあり、思い切って入会することに致しました。それまではお寺の事や仏事に関してはまったく無関心で、好きか嫌いかと言えば嫌いな方でした。しかし、還暦を機に「他の人と比べない」、「過去を振り返って悔やまない」、「地域に貢献する」と決心したことや、また、護持会やその他の奉仕活動に参加されている皆さんが楽しみながらも熱心に取り組んでいる姿に感銘を受け、自分の考えが覆るには余り時間がかかりませんでした。
お寺に係わるとお金が掛かるという声を耳にしますが、それぞれの価値観で出来る範囲でのご奉仕をすればよく、他人と比べる必要は無いと考えていますし、お寺の方針もそのようになっていると思います。
お寺での奉仕活動や諸行事(仏典・仏事作法等)は、昔を知り今に活かす「温故知新」に役立ちますし、趣味と同じように楽しんで学べる事が何よりの活力になります。
新型コロナウイルス感染防止の為、ここ二年近くは寺運営・行事・諸活動に制約があり、一部中止や延期はありましたが、檀信徒の皆様のご理解とご協力により、去る十一月二十三日には法灯継承式を無事滞りなく執り行うことが出来ました。一年延期となっていた、記念すべき入山行列や法灯継承式を盛大に開催できたことは私たちにとっても喜ばしいことです。檀信徒の皆さまと御仏のご加護に心から感謝いたします。有難うございました。
コロナ禍で人の交流が制限される生活が続く中、お寺での活動は私たちの精神生活を支える重要なキーワードだとその大切さを痛感しています。新型コロナウイルスが早く終息して通常の姿で皆様とお会いできる日を楽しみにしております。どうぞ今後とも宜しくお願い致します。
寄稿コーナー 第4回
「ご縁に感謝」
墨象家 外林省二氏
本郷温泉に叔母の里がある。幼い頃は何度も遊びに行ったものだが、道中子供心に妙に鮮明に刻まれていた風景が、今思えば妙皇寺であった。なんて立派なお寺様だろうと不思議と心が惹きつけられたのを今でも覚えている。 そして二十四年前のことである。家を建てた時に設計していただいた方から二つの大きな作品を依頼された。その作品がどこに飾られるのかは全く聞いていなかった。
時が経ち、長男が教職に就き、縁あって現住職の御子息の担任になった。四年前のことである。 家庭訪問の際、「外林」という名字からこの作品について何か知らないかと尋ねられたそうだ。長男が撮ってきた写真を見ると、それは正しく小生の書いた作品であった。あまりのご縁に思わず言葉を失ったものである。 それからまた数年が経ち、お寺に寄せていただく機会を頂戴し、鷲峰会館に飾っていただいている自分の作品と改めて対峙した。当時副住職であった宏治住職とお話をさせていただきながら、何か計り知れないご縁を感じたものである。 その後、副住職から住職に就任されることをお聞きした際に是非小生の作品を寄贈させて欲しいと申し出たところ、恐れ多いことに法灯継承式の記念として寄贈させていただくことになった。その時に揮毫したのが「臨終正念」という言葉である。
千利休の言葉に「稽古とは一より習い十を知り 十よりかえるもとのその一」というものがある。稽古とは一から順を追って十まで進み、その次は再び初めの一に戻って改めて二、三と進むという内容である。 小生は書の稽古だけでなく人生そのものが利休のこの言葉通りだと思っている。妙皇寺様、そして御住職との出会いは新たな一であり、これから先十へと進みまた一へと返り、縁がずっと続いて行くものと感じている。 第三十二世日但御上人、第三十三世宏治御上人、そして檀信徒の皆様方とのご縁に心から感謝を申し上げたい。
住職コラム 第二回
妙皇寺住職 白山宏治
~ 住職就任から一年が過ぎて思うこと ~
合掌 檀信徒の皆様、そして有縁の皆様、明けましておめでとうございます。この一年が皆様にとって心安らかでありますようお祈り申し上げます。
さて、この寺報が皆様のお手元に届く頃、私は住職就任から丸一年を迎えることになります。そこで今回のコラムは前回に引き続き、一年間、私が何を思い、どう過ごしてきたのかを改めてお話しさせていただきたいと存じます。
就任前・・・
就任前の数年間は、徐々に近づく住職交代のプレッシャーに夜も眠れず、毎日悩みの渦の中にいました。それは妙皇寺が素晴らしいお寺であるからで、その妙皇寺を継ぐにふさわしい人とはどのような人格と素養を備えなければならないのか?その理想像と自分とを比べて不安と焦りの毎日でした。
住職就任へ・・・
時は過ぎ、あっという間に令和二年の十二月を迎えました。コロナのため法灯継承式が一年延期されたことから、先代住職の希望を受けた責任役員会は、令和三年十一月の法灯継承式を待たずに住職(代表役員)の名義変更を行うことにしました。本門法華宗や法務局の手続きを完了して、私は令和三年一月から妙皇寺第三十三世住職に就任しました。ただ、やはり法灯継承式で檀信徒の皆様に見守られる中、仏祖三宝にご奉告を申し上げるまでは、名実ともにとは言えず、住職の見習い期間のような心境でした。
自らを祈願・・・
そんな中、私は、まず朝のお勤めで「今日一日、私を正しい方向へ導いてください」と仏さまに祈りました。そして歴代上人には「どうか私と一緒にいてください」とお願いしました。一日を無事に終え、そしてまた次の日が無事に終わって・・・。仏さまのお導きや歴代上人の伴走をいただきながら、滞りなく行事をつとめ、私は少しずつ落ち着きを取り戻していきました。言葉で表すのは難しいのですが、長年プレッシャーに耐えてきた私は、仏さまや目に見えない力に導かれ助けていただいたのでした。
仕事に追われる日々・・・
お寺での生活は基本的に休みがなく、常にバタバタと送っています。近年では、母が亡くなり、兄が大法寺の住職に就任し、そして師父は年を取り、寺の力は一気に低下していきました。住職就任後は、それまでの副住職の仕事に加え、住職の仕事も加わり、仕事量は一気に倍増しました。何よりも体調管理が大切ですので睡眠と食事には気を使っています。今後は、少し休みが取れるような仕組みを考えていかなければと思っております。ご理解とご協力をお願い致します。
周りには常に助け人が・・・
しかし、幸せなことに、そんな状況を理解し、何気ない日常でもいつも傍で助けてくださる檀家さんがあります。住職になってからは特に、そんな方々への感謝の念が深まり、お寺のために、先祖のために汗を流される役員奉仕者の思いに、何とかお応えしなければならないと自分に言い聞かせております。
法灯継承式の奉告文で・・・
私はそうした生活の中で一つの目標を見つけました。それはご加護をいただいた仏様の前で、一緒に汗を流し助けてくださった役員奉仕者の前で、またコロナ禍で誰もが苦しく厳しい生活を余儀なくされている中、菩提寺を支えてくださっている檀信徒の皆様の前で、心を込めて住職就任の思いを法灯継承式において声高らかに読み上げることでした。これまで巡らせてきた思いを奉告文に書き綴り、不慣れな筆で丁寧に浄書し、来る日も来る日も読み上げました。
法灯継承式の当日、私はこれまで経験したことがないほど落ち着いていました。温かく包まれているような神仏のご加護を体感し、また歴代住職や皆様のご先祖が傍で見守ってくださっていることを肌で感じながら、何よりこの日を迎えるまで、寝食を忘れて助けてくださった多くの役員奉仕者、有縁の皆様、そして家族の後押しを受けながら奉告文を読み上げることができました。
その言葉の終わりには「檀信徒、そして地域と共にある寺」そして「檀信徒、地域の人々と共にある住職であり続ける」と締めくくらせていただきました。私はこれまでも、そしてこれからも、寺を思う檀信徒の皆様、地元地域の皆様のご恩に報いることを新たな目標として、一生懸命に精進させていただきます。まだまだ不出来な住職ですが、先代の助言を頂きながら頑張ってまいりますので、寺族共々、どうか宜しくお願い申し上げます。 参拝
早くもとの営みに!
~ 郵便振込のご協力ありがとうございました ~
コロナは、ワクチン接種などでその威力を弱めておりますが、最近は、オミクロン株の感染拡大が懸念されており、引き続き感染予防に努められていることと拝察いたします。
さて、コロナ禍のお寺の様子を見ていると、本来、「重く」「厚く」執り行われていた葬儀や法事は、家族や近い親族だけでお別れする方や、また、少人数で法事を営む方が多い状況になっています。早く以前のように、多くの縁者によるお見送りや、会食を伴って故人を偲ぶ本来の営みに戻ること、そしてコロナによってその心が失われないことを望んでおります。
そのような状況下において、当山役員会ではコロナ感染予防策の一環として、お盆経(代替法要)のお供え、また永代頓写大法要、宗祖御報恩会式のお供えの多くを、郵便振込みに変更させていただきました。そのことで皆様の仏事に対する思いが薄らぐのではと危惧されていましたが、お供えの御心は何ら今までと変わらない状況となっております。
なお、振込みされたお供えの浄財は、規定に基づいて寺運営の会計へ繰り入れ、護持運営の出費に充てております。
コロナ禍により多くのお寺が維持管理に苦心されている昨今、今までと同様の会計維持が見込まれることは大変ありがたいことと存じます。改めて檀家の皆様の故人を偲ぶ心やお寺を思う心の深さに心から感謝申し上げます。
なにより早くコロナが終息し、それぞれの日常や仏事がもとの営みに戻ることを祈るばかりです。
文章:事務部長 向井信之
法灯継承式
「法灯継承式」のページで入山行列や法灯継承式の様子をご報告させていただきます。各会のご案内
当山では、様々な分野での活動が行われております。自分に合った活動を見つけていただき、信仰の一端、そして目的を失わない人生としていただきたいと存じます。
護持会・信行会・和讃会・自宅写経会・おてら健康塾・囲碁の会・ゴルフコンペ等、詳しくはこちらを御覧下さい。
湯浅氏が写経し寄贈された法華経方便品一節 |