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令和6年1月

「年中行事」お参りしましょう


お焚き上げ法要
新年祝祷会
1月1日(月)~3日(水)10時
おたきあげ法要
1月4日(木)10時 
仏壇、お墓を整理し、おたきあげの品をお持ちください
春季彼岸中日法要・寂静の杜供養祭
3月20日(水・春分の日)14時 (供養祭15時)
永代頓写大法要【ライブ中継】
4月21日(日)午前・午後の部
永代加入霊の合同供養祭
お迎え盆法要
7月13日(土)18時
盆せがき法要【ライブ中継】
7月15日(月・海の日)10時
秋季彼岸中日法要・寂静の杜供養祭【ライブ中継】
9月22日(日・秋分の日)14時 (供養祭15時)
宗祖御報恩会式・法灯継承式【ライブ中継】
11月23日(土・勤労感謝の日)13時
歳晩会・除夕の鐘(地域参加行事)【ライブ中継】
12月31日(火)14時(除夕の鐘は15時~)
※そば処「はづき」の年越しそば(限定108食・無料)
※お子様にはお守りを差し上げます

ご予定にお加えくださるようお願い致します。

※ライブ中継の視聴はこちらから







住職コラム 第六回 ~ いまこそ菩薩行に学ぶ

妙皇寺住職 白山宏治

早いもので住職就任から三年が過ぎました。コロナで一年延期された令和三年十一月の法灯継承式では「檀信徒、そして地域と共にある寺」という誓願を仏さまに奉告しました。寺役員の皆さんも折に触れてこのフレーズを言葉にしてくださり、檀信徒や地域に向けて様々な取り組みが進んでいます。今回は、なぜこのフレーズを仏さまに誓ったかお話したいと思います。

仏教、特に法華経では、自分自身が仏さまになる(成仏)ことだけでなく、他者も等しく仏になることを最終目的にしています。お釈迦様は、その目的を叶えるための実践として「菩薩行」という修行を教示されています。菩薩行の心は、法華経信仰に篤かった宮澤賢治の「雨ニモマケズ・・・」の詩の中で見事に表現されています。是非もう一度読み直していただきたいのですが、一言でいうと「利他の精神」、他者を思いやる姿が表現されています。この菩薩行が、コロナ禍で他者との繋がりが希薄になってしまった今こそ、私たちの生き方を再建する上で最も重要な実践法なのです。

今、妙皇寺では檀信徒のみならず、地域へ向けた貢献が活発に行われています。檀信徒に安心され、悦ばれる工夫はもちろん、体操スクール、茶堂妙皇寺カフェなどなど。令和六年三月二十三日(土)には真打の落語家、柳家小八師匠を招き本堂で落語会(無料)を開催する予定です。

こうした活動は、寺役員や護持会を中心とする裏方の奉仕によって実現されています。奉仕をされている皆さんが時間を割いて汗を流し、参加者の笑顔を喜びとする、まさに「菩薩行」の修行を実践されているのです。宮澤賢治は雨ニモマケズの締めくくりに「サウイウモノニ ワタシモナリタイ」と結ばれ、詩を記した黒い手帳の隣のページには日蓮聖人が現わされた大曼荼羅御本尊が不器用ながらも丁寧に筆写されています。菩薩行はみなさんの人生を豊かにします。妙皇寺からその輪が広まればいいですよね。そんな思いを込めこれからも一緒に精進してまいりましょう。  南無妙法蓮華経 合掌

第七四二遠忌「お会式」を厳修 ~功労者二名に感謝状~

真っ赤な紅葉に囲まれた十一月二十三日(勤労感謝の日)、妙皇寺では宗祖日蓮大菩薩第七四二遠忌「お会式」が盛大に執り行われました。

一昨年は法灯継承式、昨年は千仏供養法要と併修されましたが、今年は三年ぶりに通常のお会式が修行されました。当日は十一月とは思えぬ暖かさに恵まれ、多くの檀信徒の皆様が参拝されました。法要の模様はライブ配信するとともに、大型モニターを本堂と会館ホールに設置し、生中継しました。

開式を告げる鐘が鳴り、大太鼓が堂内に響き渡ると導師、式衆が入堂され、お寺様による読経が始まりました。みなが心を一つにしてお題目をお唱えし、日蓮大聖人に報恩感謝の香が手向けられました。

法要終了後には、参拝の檀信徒が見守る中、筆頭責任役員や護持会長を歴任された宇野宏様と、妙皇寺初の女性責任役員として尽力された阿波一江様に、感謝状と記念品の贈呈式が行われました。お二人の長きに亘る功労に心より深く感謝いたします。

また講演は、神戸市総合インフォメーションセンター、センター長の潮崎孝代(しおざきたかよ)さんをお招きしました。「人との出会い」と題して、出会いの不思議な縁や、一人一人の持つ尊厳など、私たちが日頃忘れがちな、人に寄り添う事とはどういうことなのかを、改めて考えさせられる貴重な時間を過ごすことが出来ました。

講演や法要の模様は、妙皇寺ホームページのライブ配信過去動画からご覧になれますので、ぜひ検索してみてください。

文章:平田雅子(広報部委員)









第2期「寂静の杜」建設について

寺づくり会議副委員長 中西真知恵

妙皇寺は「地域に開かれたお寺」という方針を具体化するため、平成30年4月に宗派を越えて申し込みができる合同墓「寂静の杜」が完成しました。第一期の「寂静の杜」は檀信徒のみならず、地域の方々にも好評で、令和5年に個別納骨墓の申し込みが終了しました。

そこで寺づくり会議では、第二期「寂静の杜(個別納骨墓専用)」の計画を立案し、各機関の同意を得て、現在は令和6年3月末の完成を目指して工事を進めています。今回は、同宗派の大法寺の檀家様にもご利用していただくことが決定しています。事前予約をご希望のお方は妙皇寺までお尋ねください。

これからも檀信徒や地域の皆様の声を聞きながら、社会の変化に対応できる寺でありたいと念願しています。

寄稿コーナー 第8回

㈱テクノメディアラボ 代表取締役CEO
妙皇寺顧問 曽根高則義氏

ゴムボールを本堂の大屋根に投げると同時にともだちの名前を叫ぶ、その瞬間こどもたちはクモの子を散らしたように逃げまどう。名前を呼ばれた子は本堂の軒下で落ちてくるボールを待ち受ける、それを繰り返す遊びなのだ。放たれたボールは瓦の凸凹と屋根の反りで不規則にハネ、どの軒先から飛び出てくるか分からないから面白い。何かの弾みで障子にボールがあたってもパーンと跳ね返ってくる、境内の障子はスゴイ。この切り取られた一コマは五十年前の妙皇寺境内の原風景なのだ。境内はこどもたちにとって大切な遊び場だった。本堂の背後にそびえる山は境内に溶け込んで一体となっている。山峰の頂きには形のいい松ノ木と大きく平らな岩盤がある。岩盤からの眺めは毎日通う本郷学園の甍(いらか)や人が行きかう道、本郷川、その先に広がる松永湾まで一望できる。本郷学園は保育園から中学までの一貫教育の場、県下有数の進学校だった。正面にそびえるのは城山、本郷城(大場山城)があった。そしてこの菩提寺は一三五四年、室町時代に大覚大僧正が開山した寺なのだ。東京(江戸)で有名な神社仏閣を訪れると必ず徳川家康創建と記されている。ちょっと待ってよ、江戸幕府は一六〇三年からだぞ、福山城の築城は一六二三年、四〇〇年しか経っていない。でもココの寺は六七〇年前に開山した。スゴすぎないか?

本郷という地名もスゴイ。最高学府・東京大学がある場所も本郷、地域の中心という意味だ。本郷温泉郷にある大谷銅山跡からは日明貿易時代の古銭が採掘されている。とすると菩提寺開山の時にはこのまちはあったのだ。本郷城の眼下には城下町があったはずだし、妙皇寺の前には門前町があったはず。静寂に包まれた境内に立つと賑やかなこどもたちの声が聞こえる気がする。

山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)、こどもの頃の純粋な歓喜の声は、わたしたちの心の中にも境内にあるすべてのモノに薫習(くんじゅう)しているにちがいない。過去と未来をつなぐ今がココにある。

妙皇寺の運営組織 
法要部(武田洋一部長)へインタビュー

メンバーを紹介してください
部長・副部長二人・部員六人・相談役二人の計十一人で活動しています。
その内十人が七十歳以上と、人生経験豊富なメンバーで、お互いに支え合ってご奉仕に努めています。
どんな仕事をしているのですか
永代頓写法要・お会式の二大法要をはじめ、全ての法要行事の準備・進行・片付けまでを担当しています。また、必要な仏具や装備品等が誰でもすぐに取り出して使えるように、皆の創意工夫で置き場・置き方の改善にも取り組んでいます。
どんなことに気を使われているのですか
お寺と部員がやりやすいようにする事です。
その一つ目は、お寺が法要を執り行いやすい環境を創るという事です。住職の意向や意見を聞いて、それをプログラムに反映させています。そして厳かな雰囲気で法要が行われるように、事前に不備がないか確認する事と、法要中は集中力を高めて、スムーズな進行を心掛けています。
二つ目は、部員が『法要をサポートする』という普通では経験しない事に対して、写真や図等を利用して分かりやすい資料を作り、事前の会議で全員が理解した上で、法要に臨めるように心掛けています。また、終了後の反省もしっかり行い、常にレベルアップを図っています。
お寺に関わるようになって感じた事や思いを聴かせてください
法要部に限らずお寺で奉仕するという事は、「布施」や「精進」等の六波羅蜜の修行に繋がるのではないかと思うようになりました。だから、部や役員という名目に囚われず、沢山の方々が妙皇寺の活動に参加して頂きたいと考えています。そうした奉仕の積み重ねが「彼岸(浄土)」に近づけるのではないかと思っています。

取材:岡森妙子(広報部委員)

徒然なるままに(6)
友人のまごころ   日但上人

お盆を終え安息の時が出来たのであろうか。電話口から古き友の元気そうな声が聞こえてきた。
「お元気ですか、私は先日、暫くぶりに胃カメラと大腸の内視鏡検査を受けてきました。ところが、大腸にポリープが五箇ほど見つかって、そのときポリープは除去したのですが、その中の二箇から癌細胞が見つかりまして・・・」」
「それでどうしたの。抗がん剤か何か飲むことになるの」
と問い返すと、それを言いたかったのか、
「いや、それが有り難いことに、医師から極初期でした。何の心配もいりませんから安心してくださいと太鼓判を押され、ホッとしたところです」
「それはよかった。一安心だな」
「ところで白山さんは、検査をしていますか?」
「いや、コロナもあったし暫く受けていないなあ~。そんな話を聞くと、そろそろ受けた方がいいかな」
「ダメですよ。そろそろじゃ何時のことになるか判りませんから。すぐ受けた方がいいですよ。すぐですよ」
と、念を押すように語気を強めるのであった。

数日後、友人の言葉に促されて、私も検査を申し込んだ。もう六年も受けていなかった。胃カメラや大腸の内視鏡検査は、これまで薬のお陰で眠っている間に終わっていたので、少しも苦にはならなかった。ところが今回はどうした加減か、内視鏡検査になると突き上げるような苦痛に耐えなければならなかった。
「年齢に応じて、催眠鎮痛剤の分量を調整していますから我慢してください。大腸にポリープが一つありましたからとっておきました。心配ないと思いますが、念のために細胞の顕微鏡検査をしますので、一週間後にまたお出でてください」
と検査後、医師から告げられた。予告の日に受診すると、
「白山さん、タイミングが良かったですね。細胞に癌が見つかりましたよ。幸い初期でしたから血管にも転移はなく、全く心配することはありません。安心してください」
医師は笑顔で、「良かったですね」と言わんばかりに、診察結果を報告するのであった。

早速、遠き友に報告しながら、思い遣(や)ってくれた真心に手を合わすのであった。

ご遺文を読む

「散りし花もまたさきぬ。落ちし菓(このみ)もまたなりぬ。春の風もかわらず、秋のけしきも去年(こぞ)のごとし。いかにこの一事(ひとこと)のみかわりゆきて、本(もと)のごとくなかるらむ。月は入りてまたいでぬ、雲はきえてまた来たる。この人の出(い)でてかえらぬ事こそ天もうらめしく、地もなげかしく候(そうら)えとこそおぼすらめ。いそぎいそぎ法華経を粮料(ろうりょう)とたのみまいらせ給(たま)いて、りょうぜん浄土(じょうど)へまいらせ給いて、見まいらせ給うべし。」   『千日尼御返事(せんにちあまごへんじ)』

解説

佐渡島に流された日蓮聖人のもとには、次第に帰依者(きえしゃ)が集まっていました。なかでも阿仏坊(あふつぼう)夫妻は献身的な外(げ)護者(ごしゃ)でした。この千日尼(せんにちあま)という法号(ほうごう)は、聖人が在島中の千日間にわたって、深い信仰と供養の誠を尽くしたことから授けられた称号であります。

去年の春に逝った夫・阿仏坊(あふつぼう)(国府入道)の死を知らされた聖人は、この返書の冒頭に、「尼(あま)御前(ごぜん)のことは、なげかわしくて仕方ありません。恋しい、恋しいと申しているとお伝えください」と書き出されています。ここに掲(かか)げました一節もその死を嘆(なげ)かれる聖人の心情があふれ、手紙を手に千日尼も感涙(かんるい)にむせび泣いたことでしょう。

「去年散った桜が今年も咲きました。去年落ちた果実(このみ)が今年もなりました。春風は去年と変わらずやさしく吹いて、秋の景色も去年と同じように心に染みます。自然はそのように巡って来るというのに、どうして阿仏坊殿の命だけが消え去って、もとに戻ることがないのでしょうか。月は入ってもまた出ます、雲は行ってもまた来ます。それなのに人は死んだらもう帰ってこないということこそ、天も恨(うら)めしく、地も嘆(なげ)かわしいことであります。ご夫君(ふくん)との別れを体験された貴女(あなた)は、ひとしおそのようにお思いになることでありましょう。急ぎ急ぎ、法華経を旅の食糧(かて)と頼(たの)まれまして、霊山浄土(りょうぜんじょうど)にいらっしゃり、阿仏坊殿にお会いなさるようになさいませ。」

仏事の豆知識 第9回

~回向(えこう)とは何??~

近所でご不幸があった時、お悔やみに行かれると思います。その際に「懇(ねんご)ろにご回向(えこう)してあげてください」というお悔やみの言葉を耳にします。この回向という仏教用語の意味をご存知でしょうか?今回はこの回向について解説したいと思います。
回向(廻向も同意)とは、回(まわ)し向(む)けると書きますが、その意味は大きく2つあります。

  1. 仏事法要を営んで、その功徳を故人に向けて安穏を願うこと。
  2. 自らが積んだ善根・功徳を人々のために振り向けること。

皆さんが最初に想像される回向の意味は、①のような葬儀や法事など、故人を供養する場面ではないでしょうか?亡き人を偲ぶ家族・親族が集って、香を薫じ、経を読んで故人を追善供養する。こうした一連の法要を大きな意味で回向と言います。

また回向にはもう一つ大切な意味があります。それは②の通り、自分自身の人生を通じて善根・功徳を積み、少しずつ積み増した善根・功徳を自分のためではなく、自分以外の人々に振向ける心、その修行のことを言います。

最初に回向には2つの意味があるとお話しましたが、本質的には、自らが善根・功徳を積むことが第一で、それを世の中の人々や、感謝すべきご先祖に振向けていくと捉えるべきでしょう。「自分の幸せは他者の幸せを願うことから」が仏教の基本です。そうした心持ちで生きていると、知らずしらず、自分にも功徳が振向けられているのかもしれませんね。

檀信徒の声

福山市松永町 田島久美子様

今年、義母の十三回忌法要を終えた。八ヶ月の入院生活から在宅へ切り替わる退院間近の頃、先代の奥様から「お寺の研修旅行に参加なさいませんか。退院なさったらまとまった自由な時間が取りにくくなるでしょう」とお声掛けいただいた。思いがけないお誘いに、義母の病気の快癒、今後の家での生活の見通しも立ち、何とか次のステップへ進めるという安堵もありすぐに申し込んだ。

それは京都界隈を熟知なさったお寺様ならではの細心の旅行行程であった。檀家の皆様との和気藹藹とした会話、お上人、ご住職、奥様の初めて知る意外な一面、お人柄・・・。心和らぐ研修旅行であった。今思えば、義母の闘病生活を伝え聞かれての奥様の温かい心遣いであったのではと胸が熱くなる。

新年は家族一緒に我家で迎えようと年末に退院し、義母との新たな生活が始まった。先の旅行で自分にも心のゆとりを持つことの大切さを実感し、義母がデイサービスを利用する一日、カルチャー教室へ通うことにした。そこで俳句に出会い、私はたちまち歳時記・季語に魅了された。改めて知る日本の四季の素晴らしさ。


母にまだ威厳のありて花菖蒲
パープルのセーター美(は)しき車椅子
母に添う日々の生活(たつき)や野水仙


拙(つたな)い乍(なが)ら折に触れて身辺を詠いとめることが出来た。句を読み返すとき、義母との生活が懐かしく甦(よみがえ)る。俳句は義母から私への最後の贈り物だったのではと、しみじみ思うこの頃である。句帳とペンと歳時記を手に、吟行と称して句友と楽しく自然を満喫している。


晩学の今が幸せ草の花      久美子

妙皇寺が「だんじり」の休憩場所に ~地域貢献とみんなの笑顔~

コロナ禍を経て久しぶりに地元本郷町八幡神社の大祭が計画されている最中、本郷町自治会から休憩所の提供をお願いできないかとの依頼がありました。依頼があった九月二十四日は、秋季彼岸中日法要の翌日で日曜日ということもあり、法事等の調整も必要でしたが、「本郷町民や地域のお役に立てるのならば」と、前回の祭りに引き続きお受けすることになりました。

妙皇寺の環境は交通事故のリスクも少なく、祭り役員の皆さんも安心して対応できる最適な場所であり、小さな子ども達も自由に境内を行き来できます。

当日の町内巡行では、妙皇寺の駐車場に山車を止めて各々休憩をとりました。駐車場にビニールシートを敷いて休憩された方もおられましたが、九月二十四日はまだまだ残暑が厳しく、特に子どもたちは熱中症の恐れがありましたので、鷲峰会館にエアコンを効かせて館内を解放しました。最初は遠慮がちだった町民の皆さんも、入れ替わり立ち代わり会館に入られ、大勢が涼しい処で休んでおられました。お祭りに参加された皆様からは大変ありがたかったとの感想を数多くいただきました。

休憩場所の提供に当たり、有志の役員さんには、わかり易いトイレ誘導看板の設置や、山車が出発した後の片づけなど大変お世話になりました。地域を大切にする思いや、皆様の日頃の積み重ねが行動に現れたものと思いますが、妙皇寺と地域の連携を通じて絆を深める一日でした。

文章:曽根高基通 (広報部副部長)

「秋季彼岸中日法要」および「寂静の杜供養祭」について

去る九月二十三日(秋分の日)「秋季彼岸中日法要」と「寂静の杜供養祭」が厳かに執り行われました。九月中旬まで続いていた暑さもやっと落ち着き、朝夕は過ごしやすく、さわやかに感じられる一日となりました。

法要の式次第の裏面に彼岸の中日についての解説がありました。春分の日と秋分の日は、それぞれ彼岸の中日にあたります。この日は太陽が真東から昇り、真西に沈みます。彼岸の時期は、あの世とこの世の距離が最も近くなる特別なタイミングです。この世(此岸)にいる私たちは「お彼岸の時期に六波羅蜜といわれる修行を行うことで、悟りの境地に(彼岸)に至ることができる」と仏教では教えられています。

御住職方の読経がはじまると参拝の皆さんは、合掌そして声を合わせて先祖に対しての感謝の念を読経に表しておられました。各々の想いを胸に本堂と位牌堂での焼香を済ませた後、寂静の杜に場所を移し供養祭が執り行われ、皆さん心穏やかに手を合わせておられました。檀信徒の皆様は、この期間中、家族そろってお墓参りをされ、ご先祖様に手を合わせて心静かにお題目を唱えられたことでしょう。

文章:粟津稔斉(広報部委員)

朗読と音楽で時を刻む「三人姉妹の朗読会」

10月7日(土) 三姉妹(金輪容子・平野敬子・渡部良枝)さんとギタリストの金藤大昂さんによるチャリティ朗読会が本堂で開催されました。ギターの音色から始まり、手拍子のなかを和服姿の姉妹が登場すると、観客は朗読の世界へと誘われていきました。親しみのある井伏鱒二の作品や水野勝成の築城物語は興味深く、情景を想像しながら聴かせていただきました。また、金藤さんによる映画音楽やオリジナル曲が披露され、本堂に響き渡るアコースティックギターの音色に魅了されました。参加者は約90名でしたが、妙皇寺は初めてという方が殆どで、当寺を知ってもらう良い機会になったと思います。

文章:岡森妙子(広報部委員)

大人が楽しむ「絵本パーティー」

奥田かずみさんによる 大人が楽しむ「絵本パーティー」を 2月に開催したところ好評だったので、2回目を10月15日(日)に開催しました。前回同様お寺にまつわる本・食べ物や家族の事で子どもも大人も盛り上がる本・実話を基にした温かい気持ちになる本等7冊を読んでいただきました。間で2回とられた参加者同士の会話も大盛況でした。絵本の魅力に触れ、人間が本来持っている温かさをチャージ出来たのではないでしょうか。貴重な体験をありがとうございました。

文章:岡森妙子(広報部委員)

茶堂 妙皇寺カフェ

茶堂妙皇寺カフェ担当 吉岡和子

寺づくり会議において、地域の皆さまの「憩いの場」になれたらとの願いから、令和5年6月から「茶道(ちゃどう) 妙皇寺カフェ」を始めています。ゲストハウス蓮の特別な空気感の中で、お菓子や住職の奥様が淹れて下さるコーヒーをご用意しております。

今までに、ひとりで来られた方、夫婦で来られた方、友人と来られた方、時にはサイクリストの方も立ち寄って下さいました。御厚意により趣味の作品も展示しております。猫の絵画・タペストリー壁掛け・手作り人形・アクセサリー・絵手紙・墨彩画等持ち寄って下さり、話題のひとつにもなり心を和ませてくれています。住職も時間がある限り同席され、皆さんからの質問に気軽に答えておられます。帰り際に庭で写真を撮られるグループや、「来月も又来ますよ」と言って帰られる方もおられ、私たちも嬉しく思っています。 どなたでも大歓迎です。どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。心よりお待ちしております。コーヒーやお茶を飲みながら、ご歓談いただければ幸いです。

開催日:毎月第3木曜日 午前10時~12時
場 所:妙皇寺「ゲストハウス蓮」
参加費:100円

妙皇寺の御朱印

みなさん御朱印はご存知ですよね?様々な寺社仏閣に参拝した際にその証としていただくものです。妙皇寺の御朱印をご希望の方は、事前に申し込みの上、予約された日に御朱印帳をご持参ください。

文章:石井幹夫(広報部委員) 

葬儀の第一報は妙皇寺へ!!

もしご家族がお亡くなりになった場合、先ず妙皇寺へご連絡ください。地域性や状況を伺い、適切なアドバイスをさせていただきます。寺づくり会議で調査した結果、妙皇寺で葬儀を執り行った方が、ネット葬儀や近隣の葬儀社よりも費用負担が少ないことが分かりました。詳しくは妙皇寺までお問合せください。

各会のご案内

当山では、様々な分野での活動が行われております。自分に合った活動を見つけていただき、信仰の一端、そして目的を失わない人生としていただきたいと存じます。

護持会・信行会・和讃会・自宅写経会・おてら健康塾・囲碁の会・ゴルフコンペ等、詳しくはこちらを御覧下さい。

湯浅氏が写経し寄贈された法華経方便品一節