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令和5年1月

「年中行事」お参りしましょう


お焚き上げ法要
新年祝祷会
1月1日(土)~3日(月)10時
おたきあげ法要【ライブ中継】
1月4日(火)10時 
仏壇、お墓を整理し、おたきあげの品をお持ちください
春季彼岸中日法要・寂静の杜供養祭【ライブ中継】
3月21日(火・春分の日)14時 (供養祭15時)
永代頓写大法要【ライブ中継】
4月23日(日)午前・午後の部
永代加入霊の合同供養祭
お迎え盆法要【ライブ中継】
7月15日(土)18時
盆せがき法要【ライブ中継】
7月17日(月・海の日)10時
秋季彼岸中日法要・寂静の杜供養祭【ライブ中継】
9月23日(金)14時 (供養祭15時)
宗祖御報恩会式・法灯継承式【ライブ中継】
11月23日(木・勤労感謝の日)13時
歳晩会・除夕の鐘(地域参加行事)【ライブ中継】
12月31日(土)14時(除夕の鐘は15時~)
※そば処「はづき」の年越しそば(限定108食)
※お子様にはお守りを差し上げます

ご予定にお加えくださるようお願い致します。

※ライブ中継の視聴はこちらから


お会式


盆せがき法要

ご遺文を読む

すず(種々)のご供養送り給ひ了(おわ)んぬ。 大風の草をなびかし いかずちの人を をどろかすように候ふ。 よの中に いかに いままでごしんよう(信用)の候いける ふしぎ(不思議)さよ。 ね(根)ふかければ葉かれず いづみ(泉)玉(たま)あれば水たえずと申すやうに 御信心のね(根)のふかく いさぎよき 玉の心のうちに わたらせ給ふか。たうとし とうとし。恐々。   『窪尼御前(くぼあまごぜん)御返事』

解説

この一文は、弘安元年(一二七八)六月、駿河(するが)国(のくに)(静岡県)富士郡久保村在住の有力な信者・髙橋六郎兵衛(ひょうえ)の妻である持(じ)妙(みょう)尼(に)から、聖人に供養の品が届けられたことへの礼状であります。その文意は

「種々のご供養の品をお送りいただきました。お礼を申し上げます。大風が草をなびかすように、また雷が人を驚かすように、邪教(じゃきょう)がはびこって人心をまどわす世の中ですのに、あなたが、法華経の行者である私を、今にいたるまで長い間信頼して下さっているのは、どうした因縁によるものかと不思議にさえ思われます。 根が深ければ葉は枯れず。泉に玉があれば水は絶えないといわれているように、あなたは、ご信心の根が深く、純潔な玉が心の中におありになるのでありましょうか。尊いことです。貴いことです。」
と窪尼(くぼに)の変わらぬ信仰をおほめになっています。

何事によらず、一つの道を貫き通すことは大変なことですが、信仰を持続し、貫き通すことは、なお難しいことであります。ややもすると、人は信仰でさえ利害や打算の欲得ずくで入信したり、離反します。信心の根がどっしりと深くなければ、根無し草と変わりません。信仰は、心が定まり、信じ通す、疑わないことが肝要であります。この心を養ってこそ根が深まり、葉も茂るのであります。こうした信仰を持続することは容易なことではありませんが、その困難を貫いてこそ、仏の道を歩むことができ安らぎの心が得られるのであります。聖人は、窪尼の堅固な信心を澄みきったいさぎよい決定であり、尊いほかないと称賛されているのであります。

徒然なるままに(4)
あの時が想い出されて   日但上人

ロシアのウクライナ侵攻は、一向におさまる様子が見られない。ロケットや無人機など近代兵器を使っての攻撃は、多くの人命を奪い、住み慣れた故郷を追われ、遠く異国に難を逃れた人たちは幾百万人とも言われる。しかも営々と築いてきた懐かしい風景はその姿を失い、思い出の詰まった家々は灰燼に帰してしまった。そのうえ無縁の国々まで影響を及ぼして、食糧事情の悪化により飢えや栄養不足に苦しんでいる。時代が進歩しても、いったん争いが起こると、時々刻々その惨状は止まることなく拡大していく。

たとえいかなる理由があったとしても、民衆の生活や、尊い命を奪うことは赦されることではない。政治の最大事は、自国民の生活や命を守ることだけでなく、他国民の命も同様にまもる責任が問われるであろう。

我が国も先の戦いで敗戦の憂き目をみた。当時、幼かった私の脳裏に今も焼きついて離れない記憶がある。それは復興の兆しが見え始めた昭和二十三、四年ころであったろうか。アメリカから戦を避けて故郷に帰国していた大叔父夫婦は、戦後、米軍に勤務していた娘たちのすすめから、当時の神戸市葺合区上筒井に移り住んでいた。私は祖母に連れられ年に数回は、神戸へ出かけていた。三ノ宮駅に降り立つと、三輪トラックにホローをかけた輪タクが、列をなして客を待っている。いつもこの輪タクに乗って大叔父の家に向かうのであった。六甲山を背に神戸湾を見下ろす高台の白い洋館には、敗戦後の混乱が嘘のように長閑な生活があった。大叔父は戦火に焼かれた黒っぽい庭土を耕して、種々のバラの苗木を育てていた。バラ園の周囲を有刺鉄線が張り巡らされ、容易に入れないようになっていた。しかし、早朝になると大叔父の叫ぶ声によく起こされた。
「何をしているのだー」

窓から声のする方を覗いて見ると、二、三人の男女がバラ園の中で、何かを探しているようであった。勿論、幼い私には何を探しているのか分からなかった。いつも大叔父の叫び声を聞くと、侵入者たちは直ぐさま逃げ去った。大叔父は食事を終えると、また抜かれたバラの苗を元通りに植え直すのである。聞かされた話では、侵入者は夜の明けぬ内から有刺鉄線を切って園内に入ると、バラが植えてある焼け土を掘り返して鉄くずや金物を拾い集め、その日の生きる糧にしていたという。その話を聞かされて、幼い私も無性に悲しい気持ちにさせられたのである。

その姿には、戦火に傷つけられた人たちの悲しくも惨めな一面が窺える。わが家や仕事を失い、大事な人まで奪っていった恐ろしい戦争。その戦争が終わっても必死に生きようとするその様を誰が責められるであろうか。誰が咎められるであろうか。

いま私たちは、戦火に苦しめられている人たちの叫び声を、かつての我が国と重ね合わせて、忘れかけていた悲しみ、苦しみを思い起こしてみたい。

大本山妙蓮寺貫首 妙皇寺へ来寺

去る令和4年6月20日(月)、大本山妙蓮寺貫首(かんじゅ)の別所日山猊下(べっしょにっさんげいか)御一行が妙皇寺へ団体参拝されました。本門法華宗の管長でもある宗門トップのご来寺は当山にとって名誉なことで、住職や先代住職、役員代表によって心をこめてお迎え致しました。

当日は猊下と共に、東京や京都より寺族・役員・信者さんが、また近隣寺院の住職・役員の方々がバスで到着され、10時から本堂において貫首が導師を務められて全員で法味(ほうみ)を言上(ごんじょう)、その後ご法話を拝聴しました。

続いて住職が参拝の皆さまを本堂・祖師堂・位牌堂へとご案内、会館ホールではスクリーンに写真や資料を映しながら妙皇寺の紹介や取り組みをご説明しました。会館事務室では檀信徒からのお供えをバーコードシステムで処理し、本堂張り出しの印刷までの一連作業を実演し、驚きの声が上がっていました。

お昼はゲストハウス蓮を会場に「末吉」の賄による食事を召し上がっていただきながら懇談をして妙皇寺での日程は滞りなく完了いたしました。ご一緒できたのはわずか半日でしたが宗門トップの別所猊下と直接お会いできたことはこの上ない喜びとなりました。なお、団体参拝の様子はライブ配信し、過去動画として保存しておりますのでぜひご覧ください。

(注1) 貫首(かんじゅ) ‥ 宗派の総本山や諸大寺の統領
(注2) 猊下(げいか) ‥ 高僧に対する敬称

文章:佐藤泉(責任役員・広報部相談役)





















年中法要

秋季彼岸中日法要・寂静の杜供養祭

最強クラスといわれた台風14号が各地に爪痕を残して過ぎ去った9月23日(秋分の日)妙皇寺では彼岸中日法要が厳かに執り行われました。住職による読経が始まると、日ごろ忘れがちになっているご先祖様への感謝の気持ちが自然と湧いてきました。各々の想いを胸に本堂と位牌堂での焼香を済ませた後、寂静の杜に場所を移し供養祭が始まると不思議と小雨も止み、心穏やかに手を合わせる事が出来ました。自我を省みる貴重な時間となりました。

文章:平田雅子(広報部委員)

お会式・千仏供養法要 11月23日修行

山々が紅葉する季節。久しぶりの雨模様でしたが、13時からの開式には檀信徒の方々が多数参詣され、本堂と会館ホールを会場に法要を奉修いたしました。

コロナの状況、更には雨でお出かけにくいのではと心配しておりましたが、信仰心の厚い檀信徒の皆さまのおかげで、用意した椅子数では足りず、急きょ追加対応をするなど盛大な法要を執り行うことが出来ました。

併修した「千仏供養法要」は、先代住職の念願でありました。自らが住職としてお弔いをした昭和62年から令和2年に亘る約千霊の法号を、生前お世話になった故人のお顔を思い浮かべながら塔婆に浄書され、心を込めてご供養されました。

今回の法要の特徴は①お会式の導師は住職、千仏供養の導師は先代住職 ②本堂と会館でそれぞれ導師と役僧が読経 ③大型モニターテレビを2台設置し、本堂と会館の様子を相互中継 など異例ずくめの大法要となりました。法要が終わり、塔婆をお渡しする時には雨も止み、一層風情のある法要でした。事前準備や当日ご奉仕いただいた多くの皆様に感謝申し上げます。

文章: 佐藤泉(責任役員・広報部相談役)











































「歳晩会・除夕の鐘」のご案内

「歳晩会」 令和4年12月31日14:00~ 
「除夕の鐘」 令和4年12月31日15:00~
今年も「除夕の鐘」の時間帯に、手打ちそば「はづき」の年越しそばがふるまわれます。 年越しそばは108食限定・無料です。「除夕の鐘」で1年の締めくくりと新年への祈願を!!

文章:粟津稔斉(広報部委員)

「おたきあげ法要」のご案内

令和5年1月4日10:00~
仏壇・お墓を整理され、おたきあげの品をお持ちください。

文章:粟津稔斉(広報部委員)



檀信徒の声

広報部副部長 曽根高 基通氏氏

以前は、働く若者や、小学生を対象にした子どもたちに関わる所で働いていましたが、退職後、4月からお寺の地区役員として広報部でお世話になっております。

一昨年12月、母が新しく購入した仏壇の事で悩んでいました。「この仏壇は法華宗の仏壇ではない」と涙ながらに言うのです。私たち夫婦と母の3人で尾道や福山の仏具店を何回も回り納得して購入したのですが‥‥。

住職にお電話させていただくと、「魂入れやお焚き上げの件もありますし」とわざわざ自宅まで来られて「信仰熱心なお母さまですね」から始まり、分かりやすく説明してくださいました。そしてお焚き上げに出すものを見てもらうと「これは大事に家で供養してあげてください」など仕分けまで手伝って頂きました。

ある日、お墓参りに出向いていた時、「あれからどうですか」と笑顔で母と私に声をかけてくださいました。私は、「腰が痛くて歩くのがしんどいです」と言うと、なんと「三次に良い鍼灸接骨院がありますよ」と教えてくださいました。「何でも相談していいのだ」と思いました。

退職後は地域で何かお役に立つ事があればやってみたいなと漠然と思っていましたので、広報部の役割をいただいたのを機に私自身も学びを深め、微力ですが、地域のためのお寺、気軽にお参りや相談ができる寺「妙皇寺」のお手伝いが出来たらと考えています。ご指導宜しくお願いします。

寄稿コーナー 第6回

アトリエYAZAKI 代表 矢崎昌樹氏

私の仕事は建築の新築・改装の設計をベースに、ロゴデザインから企画までを手がける設計事務所です。企画と言うと分かりにくいですが、例えば、住宅であれば子どもの成績を上げる住宅、飲食店であれば客単価を上げたい、熊本県のお寺では、お寺の存続の為に檀家を増やしたいなどのデザインプラス一歩踏み込んだ依頼が多いです。

そんな中、妙皇寺また御住職との出会いは、庫裡家事室の改装に始まり、本堂の段差解消とカーペットの張り替え・外部の看板デザイン・照明計画・そしてこの度の会館・庫裡外装塗装と続いて声をかけて頂いております。

私がそれらを考える時、常に重視する事は「できるだけ不真面目に考え、その中の面白さを取り出し、それをいかに真面目に創り表現できるか」という部分です。その為には施主としっかり時間をかけ話し合い、人となりを知り、面白さを共有する必要があります。しかし妙皇寺さんは「お寺」という性質上、個人の所有物とお寺の物が入り乱れ、空間や時間もそれに近い状態が存在し、全員(全体)での「おもしろさ」の共有が難しい状態であると考えました、そこで檀家さん・住職・白山家族・個人をいかに流動的に切り離し、また近づける事ができるか? という部分から「おもしろさ」を探し考えました。

「なぜ」入り乱れが気になったか? 空間や物は見れば理解できますし分ける事も可能です。しかし私が住職と話をして気になった部分は「住職」という立場と白山氏個人の距離感です。一般的な職業では考える事が少ないと思いますが「住職」という職業なのか? 職業以上の何かなのか? 職業であれば、時間に始まり時間に終わり様々な手当が当然あります。しかし私達は住職=聖職であり、人の心や魂、また様々な情を扱う職業だからこそ、私たちがそこに求める物も多く「住職」という立場では自らの状態を重視しにくい「利他の精神」が非常に強い、また求められる、求めてしまう「職業」の一つであると考えました。

そこで、妙皇寺さんの設計では、御住職と白山氏と家族の気持ちが切り変えしやすい事、さらに檀家さんの集まりやすさ使いやすさと、妙皇寺プライドがバランスを取れる様にデザインを進めました。

今回の外装については、もともと良い色バランスだったので、色の変更は非常に悩みましたが、色以外にも材料の質からお寺にふさわしい質感、見えない下地部分まで細かく計画を練り、少しでも快適に長持ちできる計画と施工を行いました。

妙皇寺さんと知り合う事で、設計は勿論、様々部分で改めて考え直すチャンスを頂き、新たな挑戦もできた事は非常に有り難く感謝申し上げます。

今後も設計やデザインから、更に私個人としても世の中が今より幸せな笑顔が少しでも増える、そんな仕事やアイデアを提供できるように活動してまいります。







住職コラム 第四回 ~ 幸せとは? 位牌が教えてくれた答え ~

妙皇寺住職 白山宏治

いつの時代も皆「幸せでありたい」と願っているだろう。私もその一人である。一言で幸せといってもその価値観は人それぞれだが、今回は「先祖を想う」という観点から幸せについて考えてみたい。

昨今では、墓掃除に汗を流し、仏壇の花を絶やさずという当たり前の光景が過ぎ去ろうとしているように見えてしまうのは私だけだろうか。墓じまいに奮闘する墓石店は、まだまだ艶やかな墓を処分し、また久しぶりにお盆経にお参りすると、ホコリを被った仏壇に造花を供えている家が増えたように感じた。

なぜこのような時代が到来したのか、現在も自問自答する日々が続いているが、そんな危機感とは裏腹に、墓じまいだけでなく、法事や葬儀を「簡単に済ませたいので・・・」という言葉を耳にして愕然とする自分がいる。本当にこんな状態で人は幸せになれるのか?親は私たちを「簡単に」育ててきたのだろうか。小さな子どもたちは、亡き人を簡単に扱う大人を見て「ちゃんと」育つのだろうか。色々な疑問が脳裏を駆け巡ってしまう。

そんなもどかしい時間を過ごしていたある日、いつものように本堂の裏手にある位牌堂で朝のお勤めをしていた。そうすると私を囲むように安置された位牌から何かメッセージのようなものを感じ取れたのである。以後、私はその不思議な感覚が何だったのか考えていたが、なかなか答えを見つけられずにいた。しばらく経ったある朝、変わらずお勤めをしていた私は、「そうか、そういうことか!」と位牌からのメッセージに気づけたような気がした。「よしっ、位牌の掃除をしよう!!」

位牌の数があまりに多いために、これまで大々的な一斉清掃は、昭和六十年の位牌堂大改修以降行われることはなかったようだ。

位牌堂は、私の祖父日幢上人のある想いによって建立されたと聞いている。その想いとは、毎月、全檀家さんへお参りして、各家のご先祖を一々にご回向(えこう)したいというものであった。しかし、それは檀家数からして不可能であったため、代わりに繰り出し位牌を一基お祀りしていただいて寺で日々供養しようと、昭和三十二年に建立されたお堂であった。以来、その想いは徐々に理解され、安置位牌が少しずつ増え、現在は六百基の位牌を祀るお堂となったのである。檀家さんは盆正月、両彼岸にはお墓参りの後、お供え物を持って位牌堂へお参りし、我が家の位牌の前で手を合わせた。言い換えれば、お寺にも仏壇があるとも言え、そうした先祖崇拝の念が位牌堂の中に見てとれていたのだ。

しかし、近年、代がわりと共に位牌堂にお参りする檀家は減少し、同時期に墓じまいや、ホコリを被った仏壇を見かけるようになった。こうした現状改善の先頭に立つのは菩提寺である妙皇寺でなければならない。しかし、私一人では到底時間が足りない作業となる。そこで私は、責任役員会や常任委員会、そして役員総会でその想いをお話し、役員に協力を求めた。「やりましょう!」という声がホールに響き、満場一致で実施が決定した。

去る十二月の三日・四日、役員や護持会、その他有志の奉仕者の力を借りて、また京都の老舗仏具店、倉橋仏具の社長たちが加勢してくださり、一基、そしてまた一基と位牌のほこりが丁寧に払われた。綺麗に蘇っていく位牌を見て晴れやかになっていく心は、私の心の塵も払ってくれるように感じた。多分、ご奉仕いただいた方々も同じような感情を抱かれたのではないだろうか。そして、この輪が、各檀信徒のご家庭にも広がっていき、「幸せ」を実感してもらえたらと願うばかりである。

仏教では人が生きていくうえで大切なことを教えている。今現在だけに目を向けすぎては本質が見えなくなってしまうと。過去のご先祖に感謝の想いを馳せ、現在の自分や家族を大切にし、未来に責任を持てる行動をとる。その基本となるのが先祖崇拝の念である。そうした基本の上に幸せはやってくるのではないだろうか。私も世の中が平穏であることを願いつつ、祖父日幢上人の想いを受け継ぎ、朝のご回向を続けたいと思う。
















千仏供養法要(謝恩法要)をおえて

第三十二世住職 白山日但

昨秋、宗祖お会式に併せまして、厳かに千仏供養を勤めさせていただきました。コロナ禍のため三年越しとなりましたが、漸(ようや)く諸霊位に報恩感謝の法味を捧げ終えることができ、感慨一入であります。

顧(かえり)みますと、昭和六十二年に先代から妙皇寺の法灯を託されまして以来、昭和・平成・令和と三十有余年の歳月が経過いたしました。その間、菩提寺の護持に尽くされるとともに、至らぬ私を陰に陽に支えて下さった今は亡き諸霊は、八百五十余霊にのぼります。その諸霊はみなさんの祖父母様であり、ご両親様であり、またお子様等であります。年を重ねられましても、その思いはいよいよ忘れがたく想い出されることでございましょう。

私も同様に在りし日のお姿や、おことばが思い出されて懐かしくもあり、有り難く忘れることができません。生前のお姿を偲びしながら、卒塔婆に法名を一字一字しるさせていただきました。きっと故人も蔭ながらお助け下さったのでしょう、七月末から始めた卒塔婆書きも順調に進み、秋彼岸には書き上げることが出来ました。

法要当日は、この卒塔婆の法名が少しでも多く拝まれるようにと、本堂と会館に分けてお建てし、参詣の皆さまと共に回向供養を捧げることができました。本当に有り難く、何と嬉しいことでございましょう。私は何もご恩返しが出来ませんでしたが、こうして諸霊位に感謝と報恩の心を込め、いささかなりとも供養が捧げられました悦びは、終生忘れることはないでしょう。

最後になりましたが、私の願いを聞き入れて、この法要にお力添え下さった役員・護持会会員・その他関係のみなさんにお礼を申し上げ、重ねて檀信徒のみなさま方に心から厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。


令和5年カレンダー「心のたから 宗祖のおことば」に宏治住職の拝書

お会式でいただいた粗供養のカレンダー。この9・10月のページに住職が拝書された「善(よ)からんは不思議、悪(わる)からんは一定(いちじょう)と思え ~聖人御難事~」の書があるのをご覧になりましたか? ぜひ手に取ってご覧下さい。

宏治住職が師事する清瀬日草猊下(きよせにっそうげいか)の解説によれば、「思い違いをしていませんか。うまくいって当たり前、いかないのは不運不幸だと。本当は何事も思い通りにいかないのがこの世、順調にいくことなど滅多に無いのです。しかし悪からん時、真正面から向き合えば自分を真に成長させてくれるのです」と教えられています。

ちなみにこのカレンダーの1・2月は大本山妙蓮寺貫首(かんじゅ)、別所日山(べっしょにっさん)猊下、3・4月は本門法華宗総長、香川日憲(かがわにちけん)上人の拝書です。宗門を代表するお三方とも先の法灯継承式の来賓や昨年6月に団体参拝で妙皇寺にお越しいただいた皆さまです。

文章:佐藤泉(責任役員・広報部相談役)

仏事の豆知識 第7回

~位牌堂参拝について~

妙皇寺の位牌堂がどこにあるかご存知ですか?またなぜ位牌堂というお堂が存在しているのかご存知でしょうか?
今回は、①位牌堂へなぜお参りする必要があるのか?②位牌堂の参拝方法についてお話したいと思います。


①位牌堂へお参りする意味について
位牌堂は「皆さんのご先祖を供養するためのお堂」だからです。ご自宅の仏壇では、日々ご本尊やご先祖に手を合せておられると思いますが、位牌堂にも皆さんのご先祖をお祀りした位牌が各家1基ずつ安置されています。仏壇でお経をあげるように、位牌堂では、毎朝、すべての檀家のご先祖を総供養する法要が行われています。その位牌堂に盆や正月、春と秋の彼岸などにお墓参りをされた後は、位牌堂でもご先祖の位牌に手を合わせてください。自らの心が洗われ、清々しく前向きな気持ちになれると思います。
②位牌堂の参拝方法について
位牌堂は本堂の裏側(山側)にあります。位牌堂へお参りするルートは、本堂に入ってそのまま本堂内部を左右どちらからでも良いので本堂奥に回ります。裏手正面の障子を開けていただくと目の前に位牌堂があります。本堂・位牌堂は24時間、365日いつでも入れますので、お墓参りやお寺にいらっしゃった際には是非お参りしてみてください。この度、本堂や位牌堂は人感センサーで照明がつくようになりました。なお、位牌の位置が分からない方のために、位牌堂に検索台帳が置いてありますのでそちらで調べてください。その他、ご不明な点はご遠慮なくお寺の方へ尋ねてください。

※なお、今号の住職コラムでも位牌堂のことについて触れていますので、そちらもご覧ください。

活動写真館















































各会のご案内

当山では、様々な分野での活動が行われております。自分に合った活動を見つけていただき、信仰の一端、そして目的を失わない人生としていただきたいと存じます。

護持会・信行会・和讃会・自宅写経会・おてら健康塾・囲碁の会・ゴルフコンペ等、詳しくはこちらを御覧下さい。

湯浅氏が写経し寄贈された法華経方便品一節