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令和4年7月

ご遺文を読む

「目連尊者(もくれんそんじゃ)が法華経を信じまいらせし大善(だいぜん)は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給(たも)ふ。上七代(かみしちだい)下七代(しもしちだい)、上無量生(かみむりょうしょう)下無量生(しもむりょうしょう)の父母等存外(ぞんがい)に仏となり給ふ。ないし子息・夫妻・所従(しょじゅう)・檀那(だんな)・無量の衆生三悪道(さんあくどう)をはなるるのみならず、皆初住(しょじゅう)・妙覚(みょうがく)の仏となりぬ。   『盂蘭盆御書(うらぼんごしょ)』

解説

この御書は、釈迦の十大弟子のひとり目連とその母の物語を通して、法華経の功徳とその信仰がすすめられています。 釈迦の弟子の中でも神通(じんつう・超能力)第一といわれた目連は、餓鬼道(がきどう)に落ちて苦しむ母を救おうとしますが果たせません。そこで目連は釈迦の導きをうけながら法華経の教えを悟ります。すると目連の父母も同時に仏になられました。それは目連の肉体も心も両親から授かった身でありますから、目連が仏になることは、その功徳によって父母が仏になられたのでした。

現代語訳

目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連自身が仏になれただけでなく、父母もまた仏になられたのです。そればかりか上七代にわたり、下七代に及ぶばかりでなく、上に向かって無量の間、下に向かっても無量の間、この間の父母はすべて仏になることが出来るのです。そのうえ子息や夫妻、それに従うところの人々、檀信徒など無量の衆生は地獄・餓鬼・畜生界の三悪道を逃れるばかりでなく、みな初住(不退位)の妙覚の位について仏となることが出来るのです。

徒然なるままに(3)


先代住職夫人7回忌集合写真

ベラルーシで軍事演習を終えたロシヤ軍は、北京オリンピックの閉幕を待っていたかのように、その行く先をウクライナへと向けた。あれよ、あれよという間にロシヤ軍は、北から東から、そして南からと各地に侵攻の火の手をあげ、日毎に戦火は拡大していった。予期せぬ事態に戦火を怖れようと、多少の身の回りの荷を背負い、あるいは手にしたウクライナの人たちは、隣国へと避難するのである。そうした中で祖国を死守せんと居残る勇士の父や夫と、妻子との別離の光景が頻(しき)りに報道される。その映像を遠く離れて見守る私たちでさえ、他人事とは思えぬ切なさをおぼえるのであった。引き裂かれるような悲しみの妻子は、父や夫と抱き合い顔をすりつけ、降りかかってきた悲境に泣き崩れるのであった。一際この事態が分別できぬ幼子は、車窓のガラスに顔を押しつけ、まばたきもせず無表情にじっと父親を見つめている。その不憫(ふびん)さにこころを揺さぶられる思いである。時と共に無差別爆撃を受けた街や村は、住人の愛着を消し焼き尽くそうとしているかのようであった。

遠国の悲惨な有様にこころを痛めながら、その時私は亡妻の第七回忌法要をつとめていた。当日はコロナ禍の中を故人との縁を大事に思われる方々の顔が揃い、内々ながらも時を忘れて昔日の想い出に浸(ひた)る一時であった。この日、出席者は口々に半世紀余も昔の思い出や、故人生前のあれこれを、昨日のことのように細やかに、面白可笑(おもしろおか)しく語るのであった。それはまたその場に出会う子や孫たちに「縁」の深さ、尊さをさとし聴かせているかのようであった。亡き妻も、話のそれぞれに聞き耳を立てて、きっと頷き、失笑しながら悦んでいたことであろう。

庭には紅しだれが咲き始めた穏やかな一日、これまでそんな過ぎ去った日々を静かに振り返ることがあったであろうか。すでに六年の歳月が流れ去っていたというのに、今日ほど旧友の語る思い出話に、過ぎ去ったあの日あの時が鮮明に想い出されたことはなかった。逝った者、残った者にとっての「幸せ」とは、こうした一時を、思い過ごせることを言うのか。さぞかし故人も参会の一人一人に手を合わせていたことであろう。

年中法要

おたきあげ法要
令和4年1月4日、晴天の下、おたきあげ法要が盛大に執り行われました。午前10時、祭壇の前で読経が始まり、火が点けられ、役員の手で古塔婆や御札が次々と燃やされていきました。コロナウイルスの影響で、令和2年春の永代頓写大法要が、秋季彼岸中日法要と併修して執り行われ、塔婆が秋に配布された事で、今年は例年の倍の古塔婆が持ち込まれました。皆様もライブ配信の過去動画から臨場感を味わってください。
また毎年1月4日に行われる「おたきあげ法要」に参詣され、古塔婆・御札・故人ゆかりの品々に感謝し、供養されてはどうでしょうか。 
文章:石井幹夫(広報部委員)
春季彼岸中日法要・寂静の杜供養祭
桜の開花宣言が例年より4日早く広島に発せられた3月21日の春分の日。妙皇寺ではコロナ禍にも関わらず多くの檀信徒の皆さまが参拝され、恒例の「春季彼岸中日法要・寂静の杜供養祭」が修行されました。
春色ほころび、新芽が出始めた気持ちの良い日に、本堂において参列者一同はご先祖供養のお題目を唱えました。続いて、境内墓地の一角にある合同墓「寂静の杜」に場所を移して丁寧に春季彼岸供養を執り行いました。今年も法要後に行う会館お茶会はコロナの影響で出来ませんでしたが、早く平常に戻れるよう願いながら菩提寺を後にしました。
文章:佐藤泉(広報部相談役)
永代頓写大法要
昨年11月に法灯継承式を終えられ、名実共に妙皇寺の住職になられた宏治上人を導師として、穏やかな春光が降り注ぐ4月17日(日)永代頓写大法要が執り行われました。
太鼓が響き渡り、法要が始まりました。住職による各家先祖志霊読み上げの際には、心静かにご先祖に想いを馳せました。その後、参拝者が一人ずつ内陣での焼香・位牌堂での水向供養を行いました。
京都より、三木大雲上人をお招きし、怪談説法をしていただきました。大雲上人は、子どもの頃から霊感があり、匂いで病気や地震も察知出来るそうです。実体験を基にした法話だけに驚きの連続で、皆さん真剣に耳を傾けておられました。最後に「仏壇や位牌には魂が宿っているので、ご先祖様に感謝し供養してください。」と話され「南無妙法蓮華経」で締めくくられました。詳しい法話内容は、ライブ配信の過去動画からいつでもご覧になれますので、ぜひ検索してみてください。 
文章:岡森妙子(広報部委員)
お盆行事のご案内
コロナが少し落ち着いてきましたので、近隣地域のみ2年ぶりにお盆経廻りを再開します。また昨年より7月に全面移行しましたお盆行事を以下のように修行します。

  1. 「お盆経廻り」7月1日(金)~(※近隣地域を中心にお参りします)
  2. 「お迎え盆法要」7月16日(土)18:00~
    参拝は広島県内の方に限定し(※初盆の方は除く)、本堂と会館ホールに分散して修行します。※法要はLIVE配信します。
  3. 「盆せがき法要・ご先祖総供養法要」7月18日(月・海の日)10時~
    初盆の檀家様には塔婆供養がありますので是非お参りください。またお盆経廻りができなかった檀家様のご先祖を供養する「ご先祖総供養法要」も併修します。
    法話は京都より清瀬日草猊下をお迎えします。
    参詣が叶わない方はライブ配信にてお手合わせをお願い致します。
    ※参拝は広島県内の方に限定(初盆の方は除く)

文章:石井幹夫(広報部委員)

※ライブ中継・過去の動画の視聴はこちらから

檀信徒の声 ~故郷本郷と妙皇寺~

広島市在住 寄高政史(よりたかまさし)氏


広島に住んで半世紀以上になります。心身の老いとともに、生まれ育った本郷も次第に遠くなっています。令和二年から今日まで、二年以上にわたるコロナの影響で、今や無人となった実家に帰ることもままならない日が続いています。しかし瞼に浮かぶ故郷の情景は、幼い頃の思い出と共に、八十歳になる今でも鮮明に残っています。尾越に住んでいた子供の頃の遊び場は、近くの八幡神社とその山はいうに及ばず、かなり高い裏山や城山の頂上まで登っていました。秋になるとキノコがたくさん生えて、シメジやハッタケなどの他に松茸も獲ったことがあります。今では想像もできないことです。

本郷川とその支流は、夏の水遊びの格好の場所でした。当時は清流で、フナやハヤ・ドンコ類がいて、魚を獲るのが楽しみでした。時には大谷温泉傍にある谷川まで泳ぎに行きました。ここは特にきれいな水で、せき止められた堰があり、まるで天然のプールでした。途中の妙皇寺境内には大きな銀杏木があり、堂内は涼しくて心地の良い場所でした。当時妙皇寺は、算盤か何かの塾の場所でもありました。そこは学びの場であると同時に、近在の友達との楽しい交友の場でもありました。

十四年前に母親が逝き、折々墓参りに訪れます。墓前で思うのは、昔の思い出と共に後悔の一念です。生前にもっと優しくすればよかったと、悔やむばかりです。母が元気な時にああすればよかった、こうすればよかったと、今更ながら慚愧の念に堪えません。これからは、先祖の供養をしながら、余生を送っていきたいと思っています。

寄稿コーナー 第5回

京都・横庄法衣店 社長  横村隆一氏

当店は日蓮宗・法華宗を専門に、法衣を自家製作しております。妙皇寺様とご縁を頂き、御前様、宏治新住職のお衣やお袈裟(けさ)をおつくりさせて頂いております。

「法衣」(ほうい・ほうえ)とは、僧尼の着用する衣服のことですが、その種類は様々で1つ1つの意味も異なります。形やサイズは勿論、使用する生地が違えば色目や柄もそれぞれ違う特徴がございます。例えば、着用される法衣の色は僧階(そうかい/位)によって決められています。衣やお袈裟も含め一般的に紫色が偉い人になりますが、その際のお袈裟は緋(ひ)という赤色で紋が金のものをまといます。そしてさらに最高位となると紋は白色になります。法燈継承式において、宏治新住職が以前の茶色いお袈裟から緋色に変わられたのをお気づきになられた方もいらっしゃったと思います。

お上人様のお袈裟は全て京都西陣織製で、熟練の職人が全て手織りで織られたものです。その反物を当方で裁断し、柄を合わせて縫い上げていきます。この作業は、気温や湿度、つくり手の癖によって全体の寸法や紋の間隔が違ってくる為、とても気の使う工程になります。生地や金糸の成形、染色、織物、仕立等、沢山の職人さんの分業によって1つの法衣が完成します。

現在、法衣業界のみならず、伝統産業は大変厳しい状況にあります。原材料の確保難、人材不足、技術の継承など問題は山積みです。しかし「法衣」は法要を行う荘厳な雰囲気において、仏具と同様にとても重要でなくてはならないものだと思います。この「法衣」の素晴らしさを少しでも伝承していけるよう、これからも精進して参りたいと思います。

住職コラム 第三回 「仏様のご加護」

妙皇寺住職 白山宏治

昨年の冬、知人のAさんから突然電話がかかってきました。Aさんとは、お互いに子ども会ソフトボールの監督をしていたという縁で知り合いました。「白山さん、ご無沙汰しています。突然ですが、少しご相談をさせていただいてもよろしいですか・・・」と切り出されました。話の内容は、Aさんのチームの男性保護者(Tさん)が、会社の社長から酷いパワハラを受けて精神的に追い込まれているので、相談方々会ってやってもらえないかというものでした。「そうですか、それはしんどいでしょうね。私でよければ構いませんよ」とお応えして、日程調整をしました。

数日後、Tさんがお寺を訪ねて来られました。「初めましてTです。この度は突然ご無理を言いまして申し訳ありません。どうぞ宜しくお願いします」と、丁寧で真面目な印象のTさんを見て、「なぜ、この人がパワハラを受けるのか?」と、頭に?マークが浮かびました。しばらく世間話やソフトボールの思い出話をしたあと、徐々に話は本題に入ります。「実は・・・」と、急にこわばった表情を浮かべながら話される内容は、聞くに堪えられないものでした。これはもう会社を辞めるべきだと確信しましたが、私は多くを語らず聞き手に廻りました。

数週間後、Tさんは会社を辞めることを決断します。その後は自宅で療養することになったようですが、会社での辛く苦しい場面が頭をよぎると、吐き気をもよおしたり、身体が震えたりと精神的な後遺症に悩まされる日々が続いたそうです。私は、そんなTさんが一日でも早く元の生活を取り戻すように、毎朝、仏さまにTさんの回復を祈りました。二か月ほど経ったある日、「久しぶりに話を聞いてもらいたいのですが・・・」とTさんがお寺を訪ねて来られました。「やっと外へ出てみようという気分になってきたのですが、仕事もしていませんし、昼間から近所をウロウロしていると目立ちますし、行くところがないんです」と話されます。私は少し考えて、「では、修行ということで、うちのお寺に遊びに来ませんか?」と持ちかけました。するとTさんは「えっ?本当にいいんですか?是非来させてください」と嬉しそうに目を輝かせていました。

Tさんの再スタートは妙皇寺からということになり、週に3回程度、朝9時に来寺して、13時頃に家へ帰るという生活が始まったのです。初日、玄関のチャイムが鳴り、「おはようございます」と大きな声で挨拶をされるTさんがいました。私は「Tさん、色々と考えても仕方ありませんから、身体を動かして汗を流しましょう!」と、庭の草取りを修行のテーマに掲げました。それからTさんは来る日も来る日も境内の草取りを続け、10時には庫裡(くり)で一緒にお茶を飲み、またお昼には寺族とともに昼食を食べながら語らいました。時には参詣者の方と挨拶を交わしたり、奉仕の檀家さんと一緒に作業をしたりと、その時間は、徐々にTさん本来の心へと導いたようです。

ある日、Tさんが「そろそろ再就職の活動をしようと思います」と前向きな言葉を発してくれました。就職活動をしながら、その後も草を取り続けたTさんは、ある会社の社長から私の右腕として力を貸してほしいと迎えられたのです。

Tさんが再就職してから数か月後の大晦日。お寺は除夕の鐘の行事を執り行っていました。檀家でそば処の「はづき」さんが年越しそばを振舞い、大勢の家族連れが参詣される中にTさんと息子さんの姿がありました。Tさん親子が本堂に上がって手を合わせる後ろ姿は、仏様のご加護に感謝し、その大切さを我が子に伝えているようでした。



草取り(イメージ)

定例役員総会・新役員組織体制の報告

コロナ禍の影響で令和2・3年の役員総会は少人数の常任委員会(注参照)において承認・決議された後、役員に資料配布としておりましたが、今年の定例役員総会は久しぶりに全役員が出席して5月29日(日)に開催されました。総会では令和3年度事業報告・決算報告が承認されるとともに令和4年度の事業計画案・予算案が満場一致で決定されました。

特記すべき設備改修工事については鷲峰会館が竣工して以来25年間更新していなかった会館・本堂の天井エアコンを令和3年度に全面取換しました。今年度は会館・庫裡の外壁塗装・修繕工事、会館・庫裡屋根北側部瓦の取換工事を実施する計画としております。なお、必要な経費は檀信徒の寄付は募らず全額寺の資金で対応する予定です。

また、3月末の役員任期満了に伴い、今年4月には新役員が決まりました。今後3年間は下記の組織体制(委員長等敬称略)により妙皇寺の護持・運営に努めて参りますので皆さまのご協力を宜しくお願いいたします。

①責任役員
佐藤泉(筆頭)
佐藤正孝
佐藤敏通
中西真知恵
②監査委員
吉岡和子
平田武久 
③運営委員会
委員長:合原和志
副委員長:佐藤泰章、寄髙浩人 
事務部長:村上真樹
法要部長:武田洋一
管理部長:吉岡真 
広報部長:寄髙浩人(兼務)
☆地区役員は上記いずれかの部に所属して護持運営に参画します。
④寺づくり会議
委員長:佐藤敏通
副委員長:中西真知恵
⑤護持会(檀信徒有志で構成)
会長:佐藤泰章
副会長:村上富行

(注) 常任委員会とは、責任役員会(住職を含めて5名)と、運営委員会の代表者13名による合同会議と位置づけ、寺に関わる情報を共有化するとともに重要事項の方向性等を審議・決定しております。

文章:佐藤泉(筆頭責任役員)


仏事の豆知識 第5回

~ お布施の由来 ~ 「布(ぬの)を施(ほどこ)す」がお布施の由来です

昔むかしのインドの仏弟子(僧侶)は、布を身にまとって托鉢(たくはつ)をしていました。ホコリやチリから身を護り、灼熱(しゃくねつ)の暑さから肌を保護するためにも必要でした。一般の人達は白い布をまとっており、僧侶は一般人と区別するためにも、捨てられた布や汚れた布を縫い合わせてまとい、その姿が仏弟子のしるしとされていたのです。また人々に施された布を縫い合わせて袈裟(けさ)として使うこともありました。 この「布を施す」がお布施の由来です。布施は、僧侶の読経に対するお礼の布施(財施(ざいせ))もその一つですが、仏の教えを説く「法施(ほうせ)」や、災害などに遭って苦しんでいる人を慰(なぐさ)めて恐怖心を除く「無畏施(むいせ)」も布施なのです。また、布施は六波羅蜜(ろくはらみつ)(布施・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ))という仏道修行の一つで、その行為は仏教において大切な修行とされています。一般には、お経をあげていただいた僧侶にお礼をすることを「お布施」といいますが、 物や金銭だけでなく、気持ちがあるかないかでその意味も違ってきます。 これは僧侶に対してだけではありません。 他人に対して、自分で出来る限り誠心誠意で施すことがお布施なのです。

お寺のQ&A ~葬儀について~
ご不幸があった時は、まずお寺へご一報ください。

Q, 家族に不幸があったら、どうすればいいのですか?
A, すぐにお寺へ連絡してください。夜中でも電話をいただければ丁寧にアドバイス致します。またご希望であれば搬送の寝台車や葬儀会社も手配させていただきます。遠方の檀家さんについても丁寧にアドバイスさせていただきますのでご安心下さい。
Q,どの葬儀社が妙皇寺で葬儀をしてくださいますか?
A,基本的にどこの葬儀社でも大丈夫です。ただ、良心的な対応をされる尾道の光屋、JA葬祭センター柳津ホール、JA尾道やすらぎ会館の3社をおすすめしています。
Q,遠方の親戚が来ても宿泊することは可能ですか?
A,はい、大丈夫です。葬儀会場の鷲峰会館の和室に3名、ゲストハウス蓮(れん)に5名(ベッド2名、和室3名)の合計8名まで宿泊できます。
Q,最近、インターネットで格安の葬儀会社がありますが、どう思われますか?
A,これまでネット申込の格安葬儀が数件ありましたが、契約上の細かな規約が弊害となって打ち合わせの際にお困りになる方が多いように思います。葬儀費用で不安がある方は、事前に妙皇寺までご相談ください。妙皇寺を会場に葬儀をされれば、費用面においても内容面においても様々な要望に誠心誠意お応えできると思います。

各会のご案内

当山では、様々な分野での活動が行われております。自分に合った活動を見つけていただき、信仰の一端、そして目的を失わない人生としていただきたいと存じます。

護持会・信行会・和讃会・自宅写経会・おてら健康塾・囲碁の会・ゴルフコンペ等、詳しくはこちらを御覧下さい。

湯浅氏が写経し寄贈された法華経方便品一節