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令和3年7月

年中行事

お盆経廻り
コロナ感染拡大中のため今年も中止致します。
※なお初盆のお方のみ、ご希望によりお参りさせていただきます。
お迎え盆法要【ライブ中継】
7月18日(日)18時~
盆せがき法要・ご先祖総供養法要(併修)【ライブ中継】
7月22日(木)海の日 10時~(第1座)、13時30分~(第2座)
秋季彼岸中日法要・寂静の杜供養祭【ライブ中継】
9月23日(木)秋分の日14時~(供養祭15時~)
宗祖御報恩会式・法灯継承式【ライブ中継】
11月23日(火)勤労感謝の日10時~
歳晩会・除夕の鐘(地域参加行事)【ライブ中継】
12月31日(金)14時~(除夕の鐘は15時~)
※そば処「はづき」の年越しそば(限定108食)
※お子さまにはお守りを差し上げます
新年祝祷会
1月1日(土)~3日(月)10時~
おたきあげ法要【ライブ中継】
1月4日(火)10時
※甘酒をおだしします
※仏壇やお墓を整理し、おたきあげの品をお持ちください

ご予定にお加え下さるようお願い致します。
なお、コロナ感染拡大の状況により、予定や法要形式を変更する場合があります。予めご了承ください。その際は、書面にてご連絡させていただきます。


除夕の鐘


新年祝祷会


秋彼岸法要

寂静の杜(安心の合同墓) 開眼進む!

「寂静の杜(安心の合同墓)」は、平成30年4月の完成から3年半経過しましたが、これまでの利用の内訳は、個別納骨墓へ34区画、永代合祀墓へ13件23霊の開眼、或いは申し込みがありました。改めてお墓や大切であったご家族の供養に注力されていることを感じるところです。

さて、個別納骨墓の34区画の利用は、全体区画の約7割が利用されたことになります。これからの要望にお応えするために、第二期の寂静の杜の設置を検討する時機に差しかかっているようにも思われます。

また、お寺には「寂静の杜」に併せて個別墓地もあります。不便でお墓の引越しや継承者がいないなどでお悩みの方は、是非見学、ご相談されてみてはいかがでしょうか。

  • 個別納骨墓(ご遺骨を個別に埋葬し供養します) 30万円~
    ※別途 墓石板(刻字代含む)が5万円~、年間管理料3千円が必要です
  • 永代合祀墓(複数のご遺骨を一緒に埋葬し供養します) 10万円(1霊)
    ※合祀(ごうし)とは、複数のものを一つにまとめるという意味です
  • 寂静の杜では春秋の彼岸に供養祭が行われ、永続的な供養も期待できます

( 文章 広報部委員 事務部長 向井信之 )

ご遺文を読む

闇なれども、燈入(ともしびい)りぬれば明かなり。濁水(じょくすい)にも月入りぬればすめり。明かなる事日月(にちがつ)にすぎんや。浄き事 蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故(ゆえ)に妙法蓮華経と名く、日蓮又(また)日月と蓮華との如くなり。」(四条金吾女房御書(しじょうきんごにょうぼうごしょ))

解 説

古来「名はその体を表す」と言われ、大切に考えられてきました。日蓮聖人もそのお一人であります。ちなみに聖人は幼名(ようみょう)を「善日麿(ぜんにちまろ)」、清澄寺に登られますと「薬王丸(やくおうまる)」、また出家得度(とくど)に際しては「是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)」と申されました。その聖人が立教開宗された三十二才の時に、自らその名を改められて、法華経如来神力品第二十一の「日月の光明の、能(よ)くもろもろの幽冥(ゆうみょう)を除くが如く」から「日」を、また従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)第十五の「世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し」から「蓮」をいただかれ、名実ともに仏子として「日蓮」と名乗られたのです。ですから、この「日蓮」の二字には救済者として生きようとの自覚と、日月と蓮華のように生きたいとの誓願が込められています。

現代語訳

闇であっても、灯火(ともしび)をつければ明るくなり、にごった水も月が宿れば澄むように、明るいことは日月にこえるものはありません。浄らかなことは蓮華にまさるものがあるでしょうか。法華経は、世の中や人の暗闇(くらやみ)を破る日月であり、濁った世の中に清浄な花を咲かせる蓮華であります。ですから妙法蓮華経と名付けられているのです。法華経のごとく生きる日蓮も、また日月と蓮華のようなものであります。

仏事の豆知識
「水向供養について」

妙皇寺では、盆せがき法要や永代頓写大法要の際に、位牌堂に設置された「施餓鬼棚」で、経木塔婆といわれる薄っぺらの塔婆にシキビの葉で水を付けます。この供養方法を水向供養と言いますが、今回は、その水向供養についてお話いたします。

水は「1,清く、2,冷たく、3,軽く、4,美しく、5,香(こう)ばしく、6,飲む時には心に適(かな)い、7,飲み終わって患(わずらい)なく、8,臭くない」という八徳を備えていると言われています。仏教では死後の世界として輪廻転生する六つの世界(六道)があるといいますが、なかでも「地獄」、「餓鬼」、「畜生」の三悪道に落ちると大変な飢渇(きかつ)の苦しみが待っています。そのような飢えや喉の渇きで苦しむ精霊を、お水の八徳で救ってあげたい、また、亡くなった人の滅罪追福を祈るというのが水向供養なのです。 作法について

  1. 施餓鬼棚の前で一礼(経木塔婆を持ったまま)
  2. 右前にある水盤のシキビを取り、軽く水をつけ、お題目を唱えながら経木塔婆に3回水をつける
  3. シキビを元の場所へ置き、経木塔婆を左右にある黒いお盆の上に置く
  4. 最後に御宝前に合掌して一礼

※本来はお題目ではなく下記の一節をお唱えするのが正式です
授記品第六の一節
如以甘露灑(にょいかんろしゃ)
除熱得清涼(じょねっとくしょうりょう)
如従飢国来(にょじゅうけこくらい)
忽遇大王膳(こつぐだいおうぜん)

本門法華宗の立ち焼香の作法について

  1. 施主(もしくは導師)に一礼をする
  2. 香炉の前に立ち、合掌し礼拝をする
  3. 抹香を親指と人差し指でつまむ(残り三本の指はまっすぐ伸ばす)
  4. 抹香をつまんだ状態で左手を軽く右手に添えながら、低い位置で右手をひっくり返し、ほんの少しだけ上にあげる(手を額まであげないこと)
  5. 抹香を香炭の上に静かに落とす
  6. ③~⑤を3回くり返す(会葬者が多い場合は1回でよい。原則、奇数です)
  7. 合掌し礼拝をする
  8. 施主(もしくは導師)に一礼する
以上が、焼香についての解説です。参考にしてみてください。

お寺のQ&A
上げ法事(お寺での法事)の準備物について

Q、お寺で法事をしたいのですが、何を持って行けばいいですか?
A、簡単にお答えすると、①お供え物、②お墓参りのセット(花、ローソク、線香)です。
Q、お供え物は何を持っていけばいいですか?
A、その家によって様々ですが、お菓子や果物類が多いように思います。 お菓子は菓子折りが多く、果物は小さな籠盛りや、ばらで色々な果物をお持ちになる方もいらっしゃいます。
※両方お供えになる方もありますし、どちらかだけお供えになる方もあります。ご先祖に対してのお供え物ですから、喜ばれそうな物が宜しいかと思います。
※お供え物は法事後に、奉仕活動の方々へのお茶菓子として、また本堂のお供えに有難く利用させていただいております。
Q、位牌は持参しなくても大丈夫ですか?
A、お寺の位牌堂に各家の位牌がありますからご持参されなくても大丈夫ですが、ご持参されれば、一緒に御宝前にお祀りさせていただきます。
Q、本堂の供花やお霊供膳の準備はどうしたら宜しいですか?
A、本堂の供花やお霊供膳はお寺で準備しますので大丈夫です。
※供花をご持参される方は、そのままお供えできるように予め組んである物を前日までにご持参ください。

(注)四十九日法要は、遺影、ご遺骨、お舎利、白木位牌が必要になります。
(注)お寺で食事をされる場合は、お料理、会場の事前予約と、飲み物やお茶菓子をご持参いただくようになります。詳しくはお問合せください。

第3回寄稿コーナー

ご縁 妙皇寺スタッフ 大前奈美さん

「お寺でおてら健康塾が始まるんだけど、一緒に行こうよ」と、術後なかなか身体も心も晴れない私に声をかけてくれた友人。「本郷温泉の手前よ」カーナビをセットして車を走らせました。大きく、綺麗で、立派なお寺がこんな所にあったなんて・・・と驚いたことを覚えています。体操に通い始めると、時々180㎝位の男性が一緒に。(現在の住職)いつも惹きつけられる話で楽しませてくださいました。

ある日「奈美さん、仕事何しとるん?」「仕事探ししようと思っているんです」「えっ!!うちのお寺に来てみない!?」と。私が妙皇寺に伺う様になったはじまりです。宗派は違っても、仏様に「手を合わせる」事は同じ。実家も嫁ぎ先も真言宗。何もかも別世界でしたが、不思議な事に子どもの頃住んでいた家の二軒隣りはお寺でした。「南無妙法蓮華経」のお題目と団扇太鼓の節を子守唄の様に聞いて育ち、いつも頭の中でグルグル鳴っていました。

伺いはじめた頃は、御遠忌と山門落慶の準備で多忙な時でした。「少しずつ慣れていったらいいから」と、細やかなサポートを皆様がしてくださいました。外側から見えるお寺と内側から見るお寺は大きな違いがありました。子どもの頃、周りの大人から「お寺は葬儀や法事と春秋の彼岸とお盆くらいで」と聞かされ、ずっとそう思わされていました。伺う様になってからは驚くことばかり。いつとはなく鳴る電話。来訪者。私は何がなんだか分からないうちに一年が過ぎ、何となく一年の流れが見えはじめたのは三年位が過ぎてからでした。

令和三年正月より、第三十二世智宏御上人より、第三十三世宏治御上人へとバトンが受け継がれ、これまでとは少しずつお寺の「内」も変化してきている様に感じております。来年七月で私がお寺に伺う様になって十年になります。少しでもお役に立てる様に頑張ってまいりますので、これからもどうぞ宜しくお願い致します。

檀信徒の声

妙皇寺さんとの出会い、そして家族への思い

大阪府東大阪市 江木清則氏

私は現在、大阪に住む八十二歳の妙皇寺檀家です。少し人生を振り返りながら思いを語らせてください。昭和二十年頃だったと記憶しております。当時住んでいました四国は高松市で戦災に逢い、やむをえず父母と姉妹と一緒に父の生まれた原田村小原(現在の尾道市原田町)に疎開しました。家には電灯もなく一家は途方に暮れました。しかし、近所におられた方には何から何まで、それは言葉では言い表せないほど親切にして頂きました。今でも感謝して忘れられません。

私は長男として原田小・中学校を無事卒業し、尾道の向島にあります向島造船(株)へ就職しました。何年か働いて、ふと母に、「松茸が取れる山でも買ってやろうか?」と言ったら、母は「山を買うんだったら墓を買ってくれないか」と即答しました。私は母の願いを叶えてやろうと、小原にあった先祖のお墓を妙皇寺へ移動しました。これが私と妙皇寺さんとのお付き合いの始まりです。父や祖父母、そして今は亡き母も妙皇寺に眠っております。

先々代住職の日幢上人には大変お世話になりました。また、昨年末に勇退されました先代住職様には、何年も大阪にきて頂き、膝の具合が悪い際にも、痛みを見せず平然と仏前にお参りされた事、感謝しかありません。有難うございました。

それから私事でございますが、一昨年の永代頓写大法要が、尾道市三成に住む姉と逢える最後だったとは夢にも思いませんでした。昨年の四月下旬に大阪の義兄が長い闘病の末亡くなった際に、元気を確かめるため姉に電話をしました。長電話の終りは、いつものように、二人とも高校に行きたかったという会話で終わり、再会を約束したのです。それから数日後の五月四日の深夜、姪っ子から姉が亡くなったと連絡が入りました。ものすごくショックで、今でも信じられません。心筋梗塞でした。「コロナ」で義兄の葬儀も、姉の葬儀にも出席できず、家族葬で済まされました。

毎年、姉に逢える妙皇寺さんの法要が待ち遠しく、近づけば何か「わくわく」の時間でした。姉はいつも松永駅に車で迎えに来てくれました。その妙皇寺さんの年中行事も、法要形式の変更が余儀なくされ、集まることが制限されております。私はお参りすることはできませんが、役員、護持会、有志の奉仕者、檀信徒の皆様には、大変お世話になり有難うございます。くれぐれもコロナには気を付けられます様にお願い致します。世界中の叡知を結集し、皆の協力と努力で一日でも早くコロナが収束することを願っております。最後になりましたが、どのような状況下でも新住職のもとに一致団結していきましょう。

法灯継承式への協力のお願い

法灯継承式実行委員長 宇野宏 氏

いつもお寺の護持運営にご協力をいただきありがとうございます。

白山宏冶上人が住職に就任されて四か月あまりが経ちました。四月には永代頓写大法要へのデビューを無事に済まされ、振る舞いも徐々に住職らしくなってこられたように思います。住職就任にあたっては、大勢の皆さまから心のこもったお祝いが寄せられ、四月末でその額は約千三百万円となっております。皆さまからのご期待の大きさに、住職はもとより役員一同も身の引き締まる思いであります。ありがとうございました。この浄財は新旧住職への記念品をはじめ、法灯継承にかかる経費に大切に使わせていただきます。

法灯継承と今年二月に迎えた日蓮大聖人ご生誕八百年を記念する事業として、昨年春に駐車場入り口の整備工事を実施いたしました。近隣にお住まいの方にはもうお馴染みの風景になったと思いますが、お寺へ入る時の印象は格段に良くなりましたね。

さて、法灯継承式実行委員会では、いま十一月二十三日の法灯継承式に向けて準備を進めているところです。しかし、この行事を一年延期する要因となった新型コロナウイルス感染症は、いまだに収束する気配が見えず、むしろ今のほうがより深刻な状況となっております。このため、継承式とならんで大切な行事である披露宴は、残念ながら中止することといたしました。

法灯継承式の方は、しっかりとコロナ対策を講じたうえで実施することとし、別途ご案内をさせていただきます。その中で、細かいスケジュールやいろんなお願いを申し上げることになります。また、入山行列への参加など個別にお願いする事案もあろうかと思いますので、どうぞご協力の程お願いいたします。

法灯継承を機に、妙皇寺が更に敬愛され親しまれるお寺となりますように、住職・役員一体となって諸課題に取り組んでまいります。どうか引き続きご支援をいただきますよう、切にお願いを申し上げます。

第1回 住職コラム ~ 住職奮闘記 ~

就任直後

令和三年より第三十三世の住職に就任して半年が過ぎようとしています。就任前は妙皇寺の歴史や由緒、そして現在のお寺の規模を考えると、その重圧に押しつぶされそうな日々でした。そんな私の思いとは裏腹に年は変わりました。新年祝祷会とお焚き上げ法要をつとめた直後、先代住職も記憶にないというほど葬儀が続きました。皆さんはピンとこないかもしれませんが、約一か月の間に十一件の葬儀(通常は二~三件)です。一月は法事も多く、スケジュールの調整が難しい状況が続きました。振り返ってみても、どうやって葬儀や法事、回向などの法要や、その他の雑務をこなしたのか思い出せませんが、あの状況は仏様から与えられた試練だと受けとめて、様々な状況を一度に経験させていただけたことに感謝をしています。もちろん、どの法要も誠心誠意、一生懸命につとめさせていただきました。

またその間、先代住職、家内、奈美さん(お寺のスタッフ)、役員さん、護持会の皆さんなど、いつもお寺のために必死にご奉仕くださる多くの方々の支えによって、私は住職という役目をつとめることが出来るのだと痛感し、住職という存在は「周りに育てていただくものなんだな」と実感しています。

ひと時の癒しを求めて・・・

三月を迎え、徐々に春の訪れを感じ始めたころ、気分転換に境内の散歩をしました。仏事や雑務に追われる中、ゆっくりとした時間を過ごすのは久しぶりでした。このお寺に育って毎日見ている同じ景色でも、自分の心の状態で全く違ったものに見える・・・。「不思議だな~」と思いながら足を進めました。

最近は、檀家さんだけでなく、初めて訪れたような方が境内を散策されていたり、駐車場で休憩される営業マンなどもいらっしゃいます。そうした方々が、緑豊かで草花に囲まれた景色に癒される、これからもそんなお寺であったら素晴らしいと思える境内散歩でした。

散歩後、そうした思いを家内に話したところ、何やら草花の苗が豊富にあるお店を発見したと言ってきました。お店は東広島市西条町にあるとのこと。少し遠いので躊躇していると、「なんでも行ってみないとわからないんじゃない?」の一言に、それもそうだな~っということで、早速、その日の午後に二人で西条へ向かいました。広々としたお店には、沢山の花苗が置かれ、次から次へとお客さんが来ます。コロナ以降は「新生活様式」という言葉が囁かれていますが、土いじりをしながら、草花や野菜の成長を楽しみにしている方が増えているのでしょう。私たちも店員さんにアドバイスしていただきながら、トランク一杯に草花を買い付け帰宅しました。

寺駐車場入り口の花壇に草花を植えていると、通りかかった檀家さんが笑顔で声をかけてくださいました。また、寂静の杜で作業をしていると「ご住職、奥さん、大変ですね~」とのお言葉を。景観のほんの一部を作ろうとしている一場面を切り取っても、何とも温かく嬉しい瞬間があります。私に限らず、現代のストレス社会では、こうした一コマが重要なのかもしれません。草木が芽吹き、色濃くなった樹木の木陰に草花がひっそりと咲いている。そんな四季の移ろいを感じられる何気ないひと時が、明日への活力になるのです。 合掌


徒然なるままに①

日但上人

「礼拝行の教え」

   鷲峰会館の大曼荼羅本尊の左右に「但行礼拝(たんぎょうらいはい) 当得作仏(とうとくさぶつ)」の額がかけられています。この八文字は、法華経の「常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)」の一節で、人間の理想像が説かれています。この経には、いつも会う人ごとに、ただ合掌礼拝の行をした僧の物語が説かれています。 『私はあなたを敬います。決して軽蔑(けいべつ)などいたしません。なぜなら、あなたもまた菩薩の修行をして仏さまになれるからです』と唱えながら、この僧はお経も読まず、ただ礼拝するのでした。)ところが、この僧に礼拝された人の中には、怒りをおこし、この僧を罵(ののし)り、杖木(じょうぼく)・瓦石(がしゃく)をもって打ちたたくものがいました。しかし、僧はこれに怖れることなく、自分をたたき、石を投げつける人たちに向かって『我深(われふか)く、汝等(なんだち)を敬う』といって合掌礼拝するのでした。この僧を人々は『常不軽』とあだ名して、馬鹿にしました。しかし常不軽菩薩は、何年も何十年も人々の謗(そし)りや罵(ののし)りに耐えて、ただ、人々を礼拝する行を続けました。釈尊は人々にこの常不軽の物語を語られて、その最後に
「その時の不軽菩薩とは、誰でありましょう。その人こそ実は我が身(釈迦牟尼仏)なのであります。」
と自らの過去を明かされています。

当山第三十一世日幢(にちどう)上人は、この教えを自らのお手本にされたのでありましょう。院号を但行院(たんぎょういん)と名乗られました。

日幢上人は、幼くして実父と死別され、仏縁によって九才の時に妙皇寺に入寺されました。幼い上人は、夜になると母恋しさに涙されたそうであります。兄弟弟子達の中にあって、師匠は日幢上人を特に厳しく訓導されたと云われます。上人もその師匠の教えに応えるように修行に励まれて、半年もすると立派にお経が唱えられるほどになられました。そうした頃、生母が我が子の顔見たさもあってか、夏物の衣類を手に寺を訪れました。すると師匠は挨拶もそこそこに、
「お母さん、よう来て下さいました。善人(よしと・日幢上人の幼名)は立派にお経が読めるまでになりました。まあ、聞いてやって下さい」
と母子を連れ、先に立って本堂に急がれたそうです。早速、師匠は上段の導師の座に、上人はその隣の席に坐らされて、お勤めが始まりました。この時、上人は子ども心に下段の座に独り坐っている母の姿が、とても不憫(ふびん)に思えてお経につまり読めなくなりました。すると師匠は即座にお勤めを止め、さっさと庫裡(くり)へ帰って行かれたそうです。母はしょんぼりする我が子の手を引いて庫裡に戻ると、師匠から呼び出しがかかりました。
「お母さん、私は悦んでいただけると、善人のお経を聞いて貰うつもりでしたが、ご覧の通りです。お母さんの顔を見たら里心が起こったのでしょう。折角預かって、私も跡継ぎにしたいと教えてきましたが、こんな軟弱な心では、とてもこの寺の跡を継がせるわけにまいりません。どうか、今日限り連れて帰って下さい。」
母は予想もしない厳しい師匠の言葉に、
「申し訳ありません。お許しください。私から善人によく言いきかせます。何卒、今回はお許し願います。」
と母は平身低頭し、何度も何度も詫びを入れたのであります。すると師匠は
「そうまで言われるのでしたら、お母さん、これから先は親でもない、子でもないと思ってください。どんな泣き言を云おうとも取り合わないでください。きっと、善人を赤に染めるか、紫に染めるか、私が立派な跡継ぎに育てます。そのつもりでいてください。」

母子には、師匠の言葉が心肝に染み込んだことでありましょう。日幢上人は以後八十有余年にわたって、師匠の訓戒を忘れられることはなかったと言われます。仏祖三宝諸尊にご給仕に励まれ、深い慈悲の心をもって檀信徒の教化(きょうけ)にその生涯を捧げられたのでした。

各会のご案内

当山では、様々な分野での活動が行われております。自分に合った活動を見つけていただき、信仰の一端、そして目的を失わない人生としていただきたいと存じます。

護持会・信行会・和讃会・自宅写経会・おてら健康塾・囲碁の会・ゴルフコンペ等、詳しくはこちらを御覧下さい。

湯浅氏が写経し寄贈された法華経方便品一節