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令和2年8月

妙皇寺の今昔(14)

住職 白山智宏

お駕籠にのって

子どもの頃、土蔵に入ると、天井に吊されている二つの駕籠が興味をそそった。しかし、これらの駕籠について、その用途を知ったのは、随分後年のことである。素人目にも粗末に見えるその一方は、先々代が檀家参りに使用していた「道中駕籠」であった。また誰が見ても上等な漆塗りで出来ている他方は、寺の特別な行事に使用する「儀式駕籠」と聞く。この塗り駕籠は、今も倉庫に大切に保管されている。恐らく戦前までは、これらの駕籠が用途に応じて大いに活躍していたのであろう。

徒歩から自転車へ

戦前・戦中から戦後の初期は、自転車が人々の足であり、人が荷を運ぶ重荷用などのつとめを果たしていた。その頃、子ども心に「早く自転車に乗りたいなぁー」と、その時を夢見ていた記憶がある。

先代・日幢(にちどう)上人は、私が物心つく頃には、自転車を使用していた。それも普通の自転車より車輪が少し大きく、車高が高い二十八インチの自転車であった。当時としては長身であった先代には、この自転車がちょうど乗りやすかったのであろうか。当時、私は親の目を盗んでは手に負えない自転車を持ち出し、横乗りの練習をした憶えがある。先代の若い頃はひ弱さが心配されていたという。しかし、その自分を鍛えるかのように自転車のペダルを踏み続けた。東は福山の手城方面、西は三原の東町辺りまで、それは仕事場を走るように檀家参りを続けていた。敗戦後の物不足の時代、福山の檀家さんから、一斗缶に詰められた芋けんぴ菓子を、よく土産にいただいて帰ってきた、なつかしい思い出がある。そうした日々の苦労に加え、法務の傍ら寸暇を惜しんでは寺域や、墓地の清掃に汗を流し、自重自戒の生活も手伝って、年と共に健康を取り戻していた。

自転車からスクーターに

まだ自動車が珍しい昭和三十年代始めには、自転車に混じってオートバイや、スクーターが現れだした。当時としては高価な乗り物であったが、音を響かせながら、颯爽(さっそう)と風を切って走る様は、人々の心をかき立てたに違いない。

先代が自転車からスクーターに乗り換えたのは、昭和三十年代後半、周囲のすすめもあり、そのスクーターに挑戦したのである。当時は免許も書類手続きだけで容易に取れたためか、乗り始めは転んだり、田畑に飛び込んだりと、周囲の者をハラハラさせたと聞かされた。そうしたみなの心配の中で、次第に慣れていった。しかし、雨天などは、随分と周囲の人たちに、カッパの始末などお世話になったようである。昭和四十年前後であろうか、田舎でも自動車の数が増えていった。その車を見ながら先代は「自動車なら雨も苦にならないのになあー」と独りつぶやくのであった。しかしその頃には檀家さんの親切心から、お迎えの車が差し向けられることが多くなっていった。

スクーターから自動車へ

私が帰山して車に乗り出したのは、昭和四十五年の五月からであった。それからは先代の思いが少し晴れることになった。

このように寺にあっても、時代とともに徒歩や駕籠に乗っての往来から、自転車、そしてスクーター、自動車等の動力車へと変わっていったのである。同じように私たちの行動も、半日、一日刻みから時間刻みへと変化して、心ゆったりという時間が失われていってないだろうか。

「寂静の杜」~安心の合同墓~ 定着深まる!

平成30年4月に開眼された「寂静の杜(安心の合同墓)」は、3年目を迎えていますが、今までに個別納骨墓へ29区画、永代合祀墓へ10件19霊の開眼、或いは申し込みがありました。これは当初の計画を予想以上に上回り、改めてお墓の悩みや供養環境の変化を感じ取ることができます。また、この「寂静の杜」を通じて、新しく妙皇寺の檀家さんや会員になられた方が9名いらっしゃいます。これは、時代の流れや利便性などに増してお寺の日々の歩みが受け入れられた証しでもあるような気もいたします。

さて妙皇寺には「寂静の杜」に併せて個別墓地もあります。不便でお墓の引越しや継承者がいないなどでお悩みの方は、是非見学、ご相談されてみてはいかがでしょうか。

  • 個別納骨墓(ご遺骨を個別に埋葬し供養します) 30万円から
    ※別途 墓石板・刻字代 5万円~と 年間管理料3千円必要です
  • 永代合祀墓(複数のご遺骨を一緒に埋葬し供養します) 10万円(1霊)
    ※合祀(ごうし)とは、複数のものを一つにまとめるという意味です
  • 寂静の杜供養祭は春秋の彼岸に行われ、永続的な供養も期待できます

( 文章 広報部委員 事務部長 向井信之 )

金曜日掃除の会奉仕活動

今回は、私達の菩提寺、妙皇寺の陰の功労者である「金曜日掃除の会」(阿波一江さん・菖蒲迫節子さん・寄高兼子さん・合原陽子さん・大西ナガ子さん・山岡文恵さん)の活動をご紹介致します。

毎週金曜日に、遠くは福山市東部から朝8時30分に集合し、屋外トイレの清掃、本堂などの諸堂、会館、ゲストハウス蓮の清掃をされています。モットーは「几帳面に手際良く、気配り清掃」です。自宅の清掃や草取りとは違った「奉仕活動の充実感」を全員で共有でき、清掃後に住職や寺族の方々とお茶をしながらの話は、仏教的な知識を得ることもできる楽しいひと時だそうです。

この奉仕活動は、会館が完成した平成10年頃に、「自分の修行のために掃除をしたい」という有志女性によってスタートし、現在では「金曜日掃除の会」と呼ばれるようになりました。整然と手入れされた菩提寺に気持ち良く参詣出来るのは、日頃からお寺を支えて下さる方々がおられることを忘れてはならないと改めて感じました。

その他の楽しみは、ちょくちょく開く女子会で盛り上がることで、お寺の活動を通じて知り合った仲間とのお出かけは、今ではかけがえのない時間になっているそうです。

皆様も自らの健康のため、活き活きした人生のために参加してみませんか?お待ちしております。

(文章 広報部委員 石井幹夫)

ご遺文を読む

「古郷の事 はるかに 思ひわすれて 候ひ つるに、今 この あまのりを 見候ひて、よしなき心 をもひいでて、う(憂)くつらし、かたうみ(片海) いちかわ(市河) こみなと(小湊)の 礒のほとりにて 昔見し あまのりなり。色形 あじわひも かはらず。など 我父母 かはらせ 給ひけんと、かたちがへ(方違) なる うらめ(恨)、なみだ をさへがたし。」『新尼御前御返事』

解 説

日蓮大聖人は佐渡流罪を赦(ゆる)されますと、故事に習って山梨県の身延に入られます。その翌年の文永十二年(一二七五)二月、聖人五十四才の時に、古くからの法華経受持者であった千葉県の新尼御前(にいあまごぜん)に差し出されたお手紙であります。この書は新尼御前から送られてきた「あまのり」の供養と御本尊をお受けしたいとの願い状に対する聖人からの返書です。

身延に入山された聖人は、各地の信者から時折々に送られてくる品々が、命をつなぎ、身を温めていました。ですから届けられる供養の品は御宝前に供えられ、感謝のご回向をされるのでした。この新尼からの甘海苔も、いつものように御宝前に祀られ、感謝のお勤めをささげられたことでしょう。その時の聖人の心情を記されたのが、次の一節であります。

『故郷のことはすっかり忘れていましたのに、眼前にこの甘海苔を目の当たりにして、わけもなく胸がつまって、憂(う)く辛くなりました。この甘海苔は間違いなく、片海・市河・小湊の磯の辺りで、昔見た甘海苔に違いありません。色も形も味も全く同じです。何もかも昔の通りであるのに、ああ、どうして私の父母だけがお亡くなりになって帰ってきて下さらないのかと、まるで見当違いの恨めしさに、涙が流れて止めることができません。』

わずか十二年しか親元にいられなかった聖人は、甘海苔を前にして五十余年の時空を越えて、子ども時代に引き戻されたことでありましょう。そして優しかった親さまのお顔を思い出されて、感極まられた心情が述べられています。

仏事の豆知識「妙皇寺の御札(おふだ)」

もともと「香」は、インドにおいて体臭や悪臭を消すためのものでした。しかし、仏教では香を単なる臭い消しとしてではなく、その「心」を大切にするように教えられています。

香をたく心とは、自分自身の邪気をはらい、心や体の汚れを取り除き、清浄になるという意味と、同時に他者の汚れも取り除くという功徳のことをいいます。その象徴的な教えとして「一つの香炉から立ちのぼる香の煙は、一切の人々の過去・現在・未来を清浄にする」という言葉があります。ちなみに、お釈迦さまのお体からは香りのない香り「お徳の香り」がするといういい方をします。その由来からご本尊をお祀りするお寺の本堂を香堂とか香殿と呼ぶこともあります。

さて、皆さんにとって、とかく問題になりやすいのは、焼香の回数や作法ではないでしょうか? 宗派や地域によって様々な教えや考え方があるようですが、経典には「香をたく」とあり、回数や作法については解説されていません。要は、先でも述べたように「心」の部分が重要だということです。そのことを踏まえた上で、香の心を形として表現する焼香の作法についてご説明します。

本門法華宗の立ち焼香の作法について

  1. 施主(もしくは導師)に一礼をする
  2. 香炉の前に立ち、合掌し礼拝をする
  3. 抹香を親指と人差し指でつまむ(残り三本の指はまっすぐ伸ばす)
  4. 抹香をつまんだ状態で左手を軽く右手に添えながら、低い位置で右手をひっくり返し、ほんの少しだけ上にあげる(手を額まであげないこと)
  5. 抹香を香炭の上に静かに落とす
  6. ③~⑤を3回くり返す(会葬者が多い場合は1回でよい。原則、奇数です)
  7. 合掌し礼拝をする
  8. 施主(もしくは導師)に一礼する
以上が、焼香についての解説です。参考にしてみてください。

お焚きあげ法要

新春1月4日の穏やかな冬晴れの下、古い御札をもってお参りしました。境内(南側)の四隅に竹を立て御幣をめぐらした焚きあげ会場が作られ、祭壇が設けられていました。側には持ち込まれたり、墓地から集められたりした古い塔婆が積み上げられ、役員さんたちが待機されていました。

10時、祭壇の前で読経が始まり火が点けられました。お経が響く中、塔婆や御札が役員さんの手で次々燃やされていきます。中には、お寺に相談をして仏壇の古い位牌を持ち込まれた方もいました。又、「遠方からたまたま墓参りに来て知ったので」と参加された家族もいました。この行事は平成23年から始められたそうですが、毎年参加しているという方もおられました。
約40人の参加者一人一人も焼香し、甘酒を御馳走になり、約40分で法要は終わりました。

「お焚きあげ」とは、魂が宿っているように思えて粗末に扱うことができない品物を、寺院や神社などで僧侶や神主が供養し、焼却することだそうです。古い塔婆や御札を焚きあげてもらい、穏やかなお正月に感謝しました。

(文章 広報部委員 寄高喜美子)

「寺づくり会議」 多くの課題を具現化し その役目を終える

発足
3年前の平成29年5月、定例役員総会において今後の時代に対応できる「お寺の在り方」を探るため、「妙皇寺の組織・経営の見直しの件」が諮られ、住職の諮問機関として発足いたしました。
第1回会議ではスタートに当たり、委員6名が
①建物から仕組みの時代に
②原点に返ることの重要性
③運営の仕組みの見直し
④仏事費用のマネージメント
⑤合祀墓・合同墓の必要性
⑥非日常の中に日常をつくる
など課題の明確化や委員の意識合わせに熱中したことを覚えています。
会議の進行
振り返れば、会議の開催回数は3年間で延べ50回になりました。1回の会議は約2時間ですが、次回会議の資料準備が特に大変で、各委員は分担して必要な情報の収集、資料作成、建設図面設計など実行スタッフ役も兼ねての奮闘が続きました。
新しい制度・体制へのチャレンジは未来の妙皇寺の理想を追求する思いが強いからこそ、意見衝突も度々生じましたが、十分な意見交換によって良い体制・設備・制度の構築に繋がりました。
具現化した主な成果 
具現化した主な成果を別表に整理しました。この中にはまだ進行中のもの、更に改善が進んでいくものなどがありますが、「寺づくり会議」をきっかけとして護持環境が少しでも進化したことが最大の成果と思います。具体的項目の詳細はこれまでの寺報に詳しく掲載されておりますのでご確認下さい。
鷲峰会館リニューアル「平面図プラン」の作成
平成9年に完成し、既に22年が経過した鷲峰会館は間もなく大規模修繕が必要な時が参ります。 寺づくり会議ではリニューアルの検討に資するため、要改善点のリストアップ・優先度、将来の課題などを精査し設計専門家の協力を得て「平面図プラン案」を最後の議題として検討し作成いたしました。
数年先に次のメンバーによる総合デザインや細かな部分の検討、改修工事費算出などの際に役立てるよう資料を引き継ぐこととします。
会議の終了にあたって
委員の経験や専門知識に加え、お寺の行事に精通したメンバー構成が「最強1(わん)チーム」として課題解決へ向け役割を果たしたと委員一同実感しています。忙しさもありましたが楽しくもありました。
檀信徒の皆さまのご期待に十分応えられない点もあるかと思いますが、これをもって結果報告とさせていただきます。ご協力ありがとうございました。感謝。

寺づくり会議  委員一同

第1回寄稿コーナー

これからの寺院について 参与 爾摩大策氏

急速に進む少子高齢化の進行によって死生観も変わり、価値観、経済力、家族構成などの多様化が増しています。環境が大きく変化していく中で、檀信徒のニーズもますます多様化、複雑化、高度化しており、従来の宗教儀礼、説法、伝道のみならず、地蔵盆夏まつりの開催や平成30年7月の豪雨災害の支援活動のように改めて寺に公共性が求められています。

将来に向け、発展し開かれた寺として、人と人との繋がりの場となるよう役割を果たすためには地域社会と深く関わっての社会貢献活動が大切になっていきます。

核家族化が進んで次世代へ信仰が受け継がれにくくなっている問題等、多くの課題がありますが常に未来を描き、羅針盤のもとに、中長期的な方針や資金計画を立て、運営基盤の充実に努めなければなりません。

新型コロナウイルス感染症問題で様々な影響が発生していますが、何よりも大事なことは、備えあれば憂いなしで、手遅れにならないよう適切な対応が肝要と思われます。

終わりになりましたが、鷲峰山妙皇寺の益々の御隆盛ならんことをお祈りします。

合掌

寄稿コーナーを設けました
広報部ではお寺からの情報を一方的に発信するだけではなく、双方向のコミュニケーションを図ろうと新たに「寄稿コーナー」を設けました。今回が第1回で、今後、継続して掲載予定です。
お寺と縁のある方なら檀信徒でなくても大歓迎です。文字数は約500文字、テーマは自由ですので投稿をお待ちしております。寄稿適任者の情報も含め、自薦・他薦を宜しくお願い致します。

( 文章 広報部委員長 責任役員 佐藤 泉 ) 

檀信徒の声

地区役員 菖蒲迫節子様


私が定年退職して一年後、母が亡くなりました。その際に、お寺の会館で葬儀をさせていただきましたが、菩提寺で葬儀ができるということが、こんなに良いものなのかとつくづく感じました。今では多くの檀家さんがご利用になっているようです。本当にありがたい限りです。

その後、母がお世話になっていた方がお亡くなりになったので、同じ檀家ということもあって、葬儀で妙皇寺にお邪魔していました。出棺の時に外でお見送りをしていたら、お寺の奥さんが近寄ってきて「菖蒲迫さん!ぜひ、護持会に入ってください」と私に声をかけてくださいました。お寺のことは何も分からないので不安もありましたが、これも何かのご縁と思い参加させていただくようになりました。2回、3回と護持会の皆さんと会うたびに、心が安らぎ、いろいろと教えていただきながら、皆さんと楽しく奉仕活動をしています。

お寺の行事も季節を通してあります。お参りの方が、少しでも気持ちよく過ごしていただけるように、役員・護持会一同で頑張っています。

今年は4月に、日蓮大菩薩御生誕800年と法灯継承を記念して、駐車場入り口からゲストハウス蓮の景観が一新されました。アプローチも歩きやすくなり、周りには杉苔や沢山の草花が植えられてとても綺麗です。春は枝垂れ桜、秋は紅葉と四季の移ろいを感じることができます。妙皇寺は多くの方が参詣されますが、そうした方々の気持ちを癒してくれると思います。

最後に、早くコロナウイルスが終息して、以前のように安心して生活できる日常が戻ることを心から願っています。 合掌

除夕(じょせき)の鐘

令和元年の大晦日、本堂では十四時から歳晩会(さいばんえ)が厳粛に執り行われました。その後、十五時から鐘楼の前に百数十名の家族連れや檀信徒が集まって梵鐘を打鐘し、108つの煩悩を取り払う「除夕の鐘」が修行されました。

1年を締めくくる大晦日に、より多くのお子様や家族連れの方々に参詣して頂きたいとの思いから除夜の鐘から除夕の鐘へと時刻を変更して既に3年目となりました。

特に今回は手打ちそばの人気店「はづき」様から申し出があり、温かい手打ちそばを参詣の皆さんに振る舞って頂きました。思いがけない年越しそばに皆さん大喜びで、数名の方からは来年もいただけますかとお尋ねがあった程です。(大丈夫、今年もありますよ)

お寺からは豚汁を、お子様にはお守りが配られました。当山の除夕の鐘は、ご家族やお年寄りがお参りしやすい時間に開催することで、地域の方々を含めて多くの方に興味を持って頂きたいと考えています。是非、実際に大鐘をついて一年の締めくくりと、新たな年のスタートをきっていただきたいと思います。今年の大晦日、一人でも多くの皆様のご参詣をお待ちしております。

( 文章 広報部委員 石井幹夫 )

妙皇寺活動写真館






















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各会のご案内

当山では、様々な分野での活動が行われております。自分に合った活動を見つけていただき、信仰の一端、そして目的を失わない人生としていただきたいと存じます。

護持会・信行会・和讃会・自宅写経会・体操スクール・囲碁の会・ゴルフコンペ等、詳しくはこちらを御覧下さい。

湯浅氏が写経し寄贈された法華経方便品一節