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令和3年1月

「年中行事」お参りしましょう

新年祝祷会
1月1日(金)~3日(日)10時
おたきあげ法要【ライブ中継】
1月4日(月)10時 
※甘酒をお出しします
仏壇、お墓を整理し、おたきあげの品をお持ちください
春季彼岸中日法要・寂静の杜供養祭【ライブ中継】
3月20日(土)14時(供養祭15時)
永代頓写大法要【ライブ中継】
4月18日(日)午前・午後の部
永代加入霊の合同供養祭
お迎え盆法要【ライブ中継】
7月17日(土)18時
盆せがき法要【ライブ中継】
7月19日(月)10時
秋季彼岸中日法要・寂静の杜供養祭【ライブ中継】
9月23日(木)14時 (供養祭15時)
宗祖御報恩会式・法灯継承式【ライブ中継】
11月23日(火)10時
歳晩会・除夕の鐘【ライブ中継】
檀信徒や地域の方々のご参加を中止し、お寺の関係者によって修行いたします。
※お子様にはお守りを差し上げます(108個限定)。年末年始のご参詣の際にお申し出ください。

ご予定にお加え下さるようお願い致します。

※ライブ中継の視聴はこちらから

妙皇寺第三十三世住職就任にあたって

妙皇寺住職 白山宏治

合掌 檀信徒の皆様、新年明けましておめでとうございます。この度、妙皇寺第三十二世白山日但(智宏)上人の住職退任を受けまして、私、白山宏治が、令和三年一月一日より第三十三世住職に就任させていただくこととなりました。由緒ある妙皇寺の法灯を継承するにあたり、歴代住職のご苦労や、それを支えてこられた檀信徒の皆様の思いを、今、改めまして痛切に感じております。浅学菲才の身ではありますが、そうした思いを受け止めながら、そして皆様のお力添えをいただきながら、一歩ずつ、一生懸命に勤めてまいる所存です。どうか、末永く温かい目で見守っていただければ幸甚に存じます。

さて、住職就任にあたり、これまでお話する機会がありませんでしたので、改めまして私の自己紹介をさせていただき、私の人となりをご理解いただいた上で、住職就任にあたっての思いにも触れさせていただきます。

妙皇寺の次男に生まれて

昭和四十九年六月二十四日、妙皇寺の次男として生まれた私は、家の中でじっとしているのが苦手で、常に外に出て野球やサッカーをしたり、野山を走り回る活発な子どもでした。小学校六年生の時、担任の先生は人前が苦手だった私に、「児童会長選挙へ立候補したらどうか」と提案されました。嫌々でしたが立候補した私は、全校選挙の末に児童会長をつとめることになりました。毎日、人前で挨拶をするのが辛くてたまりませんでしたが、今となってみれば有難い経験をさせていただいたと、あの時、背中を押してくださった先生に感謝しています。

中学に入るとスポーツから一転、工作好きな私は、競技ラジコンに夢中になり、ラジコンの整備や練習に没頭して、終には自ら設計し自作したラジコンで大会に出場するようになりました。中学の三年間は、家と学校と模型店の三角形を自転車で走りまわる毎日で、高校受験の間際までラジコンを整備する姿を見ていた母は、言っても無駄だと悟りの境地だったようです。

高校に入ると中学時代に形だけ入部していた剣道部の先輩に誘われ、本格的に剣道に取り組みました。暑い日も寒い日も稽古に明け暮れ、徐々に上達して二段を取得。広島県国体強化選手として強化合宿にも参加しました。広島県を代表する剣士たちと凌ぎを削り、厳しい稽古に耐え抜けたことはかけがえのない財産となっています。その後、剣道の実力をかわれて大阪体育大学への推薦をいただきました。しかしその話をお断りして、もともと芸術やデザインに興味があったことから、剣道から一転して仏教美術を学ぶため、東京の立正大学仏教学部仏教文化コースへ進学しました。大学では仏教美術、特にシルクロードにある石窟寺院「敦煌」の法華経変相図(法華経を題材にした壁画)を学びました。また一方で、高校時代の剣道から、今度は軟式野球に没頭、高校時代に甲子園をめざした全国から集まった友人たちと共に白球を追いました。

転機・・・アトピー性皮膚炎を発症

大学2年の終わり頃、校舎が変わるため埼玉県熊谷市から東京の大崎へ引っ越した直後、身体に異変が生じます。全身に湿疹が出て、強烈な痒みで夜も眠れません。病院の先生から「重度のアトピー性皮膚炎」との病名が告げられ、順風満帆な人生から、突然、生き地獄のような苦しみの日々が訪れたのです。四六時中、耐えがたい痒みに襲われ、夜は軍手をして手を縛って寝ました。なぜ自分だけがこんなに辛い思いをしなければならないのか・・・。当時はそういう考え方しかできませんでした。あまりの辛さに大学を中退することも考えましたが、両親の手厚い援助を受けながら、何とか単位を取り、卒業論文を書き上げることができました。この苦しみの中で、日蓮聖人の「この病は仏の御はからいか、病によりて道心は起こり候か」という言葉が目に留まります。自暴自棄になっていた私の心がこの言葉によって動き始めます。このアトピーは仏様からいただいた仏縁かもしれないと考えるようになり、それまで微塵も考えたこともなかった「僧侶の道」を志そうと心が傾きはじめます。

京都へ学びを求めて

大学を卒業後、妙皇寺へ帰った私は、早速、京都大本山妙蓮寺へ修行にいきました。すべてがこれまでと違う世界で戸惑いの日々でしたが、一定の修行期間を終え、本門法華宗の教師(僧侶)試験に合格しました。晴れて新米坊主のスタートと言いたいところですが、当時の私は、仏教界の現状に違和感があり、素直に入り込めない暗中模索の日々が続きました。そうした時、ある方の紹介で京都の小さなお寺の住職を訪ねることにしました。その住職は清瀬常童上人という方でした。初対面のわずかな会話で、それまで私の心を覆っていた霧がすーっと晴れていくような不思議な感情が芽生えたのです。清瀬上人が法華経や日蓮聖人の教えを真摯に学ぶ姿、また、社会に出て様々な活動を柔軟に実践される姿は、僧侶としての理想像でした。このご縁を機に、毎月、京都へ通い、法華経やお題目の教え、また実社会の問題点などを約十年間学ばせていただきました。私の宗教観はこの十年間に集約されたと思います。

競技ゴルフへチャレンジ

清瀬上人のもとで勉強を始めて数年後、突然「あなたは他にやりたいことがありませんでしたか?」と尋ねられました。私は少し時間をおいて「・・・いえ、特にありません」と答えしました。実は子どもの頃からプロゴルファーになることが夢でしたが、お寺の息子がゴルフのような派手なスポーツは、世間の目もあるので無理だと勝手に断念していました。そんな気持ちを胡麻化すために色々なスポーツをしたのだと思います。結局、アトピーを発症し、現実的に諦めざるを得なかった経緯もあり、その後は自分の心に蓋をして徐々にその気持ちも忘れかけていました。

二年後、またお上人は「やりたいことがあるのではないですか?」と、何かを見透かすかのように尋ねてこられました。私は怒られることを覚悟して、「実はゴルフで戦ってみたかったです」と思いのたけを話しました。そうすると「それですよ!今すぐゴルフをやりなさい。あなたにとっての出家は、ゴルフにチャレンジすることです」と微笑まれるのです。全く想像していなかった展開に動揺しながらも、帰宅後、住職をはじめ家族に自分の気持ちを伝えると、みんな「チャレンジしてみたら!」と、快く応援してくれました。五年間限定で、お寺の仕事をしながらトレーニングや練習を積み、試合を通じて出会った方々と接していく中で気づいたことは、清瀬上人は私の心の中にある「お寺の子」というプレッシャーから一時的に開放してくださったのだということでした。五年後、スクラッチプレーヤー(ハンディ0)の通知が届いた日、競技ゴルフをやめることを家族に報告しました。

法華経は私たちと共にある

僧侶としては、かなり回り道をしたと思います。しかし、無駄なものは一つもありませんでした。すべての経験は、新しい発想、新しい人脈、それを活かした実行力に変換されました。歴代の住職も、自分の特徴を活かして寺を護り、法華経の教えを弘められたことでしょう。私は、いろいろな悩みを抱えながらこれまで人生を歩んできました。行き詰った時は仏様にすがり、何度も助けを求めました。仏様はその都度答えをくださり、次の一歩を踏み出す勇気を与えてくださいました。法華経は机上の空論ではなく、私たちと共にあるという経験を活かし、檀家の皆様、地域の皆様と関わらせていただきたいと思っています。

奉仕者に支えられて

妙皇寺の「寺宝は何か?」と問われれば、私は迷わず「檀信徒の奉仕の心です」と答えるでしょう。全国津々浦々、沢山のお寺がありますが、妙皇寺のようなお寺は、なかなかありません。何か困ったことがあっても、必ず助けて下さる檀家さんがいらっしゃる。これほど心強いことはありません。まさに「寺の宝」です。この寺宝は、法華経信仰の心と歴代住職との信頼関係の上に成り立っています。力不足な私ですが、皆様の信頼が得られるように精一杯精進してまいります。また、役員、奉仕者、そして檀信徒の皆様のご意見は大変貴重です。どんな些細なお言葉にも真摯に耳を傾けてまいりたいと考えていますので、遠慮なく仰ってください。

地域貢献の寺へ

仏教は「心の解放」を教えています。世の中が複雑になればなるほど、もう一度その基本に立ち返り、どなたも「お参りしてよかった」と感じていただけるような、お寺の雰囲気づくりが求められています。皆様もご存知のように、妙皇寺はこれまでも体操スクール・寺婚・ゴルフコンペ・地蔵盆夏まつり、地元子ども会ソフトボールチームの合宿、除夕の鐘など様々な地域貢献活動を実施しています。また、イベントだけでなく寂静の杜(安心の合同墓)も、地域に開放された新しい形式のお墓として檀家以外の方々にも必要とされつつあります。このような取り組みを継続することで、妙皇寺の思いは認知され、檀家さんと地域の皆さんに必要とされる存在になっていくのだと考えています。

おわりに

住職就任にあたり、私の自己紹介や思いについて簡単ですがお話させていただきました。 しかし、向こう数年間は余裕もなく、目の前のつとめに追われる日々になると思います。新米住職として、まずは、当たり前のことを当たり前にできるようになることが何よりも大切だと感じています。文和三年に大覚大僧正妙實上人が開基されて以来、六百六十七年、法灯を絶やさず継承されてきた歴代住職、特に、その苦労を目の当たりにしてきた祖父や父に習い、檀家の皆さん、地域の皆さんに安心していただける日が、一日でも早く迎えられるように、仏様からいただいた役目を、一生懸命に取り組んでまいりたいと強く思っております。

最後になりましたが、三十年以上の長きに渡って妙皇寺のために、そして私たち寺族を守ってきてくれた師父に心から感謝し、これからは私たちが師父を支えながら孝養を尽くしてまいりたいと思います。また、病弱な体で必死に私を育て、生前中は親孝行の真似事もできなかった亡き母に、檀信徒の皆様と汗を流す姿を見せて安心してもらいたいと決意を新たにしています。益々厳しい時代になることが予想されますが、皆様と共に法華経、お題目をお唱えしてまいりたいと思います。どうか皆様、宜しくお願い申し上げます。

九拝

妙皇寺の今昔(15)

懐かしい想いで

寺の前を走っている県道松永・府中線は、古くから人々の行き交う生活道であった。寺から少し北に入った道端には大葛(かずら)の樹があったという。古くからその樹の下のお堂には、地蔵尊が祀られていた。これに因んだのであろうか、此所に「かずら堂前」と呼ぶバス停がおかれていた。

もともとこの地は大谷・中野・小原府中方面の分岐点にあり、新市・有磨・府中を結ぶ当時の要路となっていた。そのバス停には飲食店があり、便数の少ないバスを待つ客や、買い物に立ち寄った人たちなど、衆人の集う場所でもあった。休息や世間話に興じ、またウドンなどに空腹を癒やしてそれぞれに時を過ごしたのである。お地蔵さんは、長年にわたってそんな人間模様を微笑みながら、人たちの無事を見守っていたことであろう。無論、一時を過ごした人たちも、地蔵に手を合わせ、名残りを惜しんだに違いない。

木炭車の道中

私は終戦間もない頃、府中の実家を訪ねる母に手を引かれ、この路線バスに乗った記憶がある。このボンネット型バスは、当時油燃料の不足から、車体の最後尾に動力の木材を燃やす釜がついていた。煙を立てながら、山腹を縫うように曲がりくねった道をバスは走った。小原の峠を越え、下った里が柞磨(たるま)の地で、そこはまだ道半ばであった。走り始めたバスは、また左右にカーブしながら峠を目指して走り続けた。急な坂にさしかかると、乗客が降りて後押しすることもあった。二山を越え、バスは漸く視界が開けて芦田川の土手に出る。眼前には当時、大橋といわれたコンクリートで架けられた「おおぎ橋」が現れて、ここの橋を渡りはじめると、府中の街並みがひろがってきた。一時間ほど要した車中に、やっと降りる動きのざわめきが起こる。もう終点も近いことを教えられるのであった。

車酔いのつらさ

しかし、このバスの旅は親と旅する喜びよりも、辛い思い出の方が忘れられない。乗車したバスの乗り心地とは別に、凸凹道を左右に揺さぶられながら上り下りするからであったろうか、終点の「大渡旅館」に降りた時には、母と共に乗り物酔いに苦しんだことである。旅館の女将は顔色を無くした母子に言葉をかけ、親切に一時間ほど休ませてくれた。

変わりゆく風景

あれから五十年、県道を走る車は年々大型化、高性能化して、旧来の県道では所々で渋滞が見られるようになった。そんな中でも寺の行事等には、参拝者を寺の前で降ろしてくれた。通行する車には、随分迷惑をかけてきたのであった。

その道路事情は平成に新設された新県道の完成によって、一挙に解消したのである。今では府中までの所要時間も三分の一になり、便利さは格段に向上したのである。子ども時代に眼を見張っていたあの「おおぎ橋」が、今ではなんと小さく狭く見えることであろうか。

便利さと引き替えに

朝夕に間断なく走る車に、歩行者は横断することも容易でないと嘆く。新道によって車の流れや、人の動きまでも一変する中で、私たちの生活も少なからず変質してきたと痛感する。

戦後の参拝者は徒歩や自転車で、そしてバスや二輪車へと移り、いまは自動車へと変わってきた。どこに行くにも自動車なしでは動けない、生活の足となって便利さを謳歌しているようである。しかし、不自由で、物の乏しかったあの時代の生活が、みんなとワイワイガヤガヤ騒いで暮らしていたあの時代が、なんと懐かしく、忘れがたく大事に思えるのは年のせいなのであろうか。

ご遺文を読む

「汝(なんじ)、仏にならんと思わば、慢(まん)のはた(旗)ほこ(矛)を倒(たお)し、瞋(いか)りの杖(つえ)をすてて、偏(ひとえ)に一乗(いちじょう)に帰(き)すべし。名聞(みょうもん)、名利(みょうり)は今生(こんじょう)のかざり、我慢(がまん)偏執(へんしゅう)は後生(ごしょう)のほだ(絆)しなり。ああ、恥(は)ずべし、恥ずべし、恐(おそ)るべし、恐るべし。」 『持妙法華問答抄(じみょうほっけもんどうしょう)』

解説

この『持妙法華問答抄』というお手紙は、残念ながら真蹟(日蓮聖人の直筆)が残っていません。そのため書かれた年代や、差し出された相手は不明ですが、信者に送られたものでありましょう。この御書は日蓮聖人のお心をよく伝えていると言われ、先代・日幢上人もこの一節をよく法話で使われていました。聴く人の心に残る一言一言であり、言わば処世訓とでもいえるでしょう。それではお手紙を読み解いてみましょう。

あなたが仏のような安らぎの心を得たいと願われるならば、まず「オレが」「私が」というおごり高ぶった心、自分の凝り固まった考え、自分本位の片寄った思いを捨てなければなりません。それは「私はここだぞ」と旗を振りかざしているようなものなのです。ですからその旗を下ろし、あなたの心に潜んでいる相手を攻める矛も下ろしなさい。何事にも自分の思い通りにならないからと言って、怒り出してはいけません。その怒る心も捨て去りましょう。その上で、心から法華経を信じて、お題目「南無妙法蓮華経」を唱えることです。ただ唱えるのではなく、もし自分の心に「おごり」や「怒り」が生じたなら、静かに瞑目して心の中で「南無妙法蓮華経」と唱えなさい。おごりや、怒りの心は静まっていくでしょう。

出世すること、地位が上がることなどは、この世だけの飾りにすぎません。自分の「我」を通そうとこだわることは、人との争いの因となるだけでなく、死後までも続く苦しみとなるのです。このような将来の障りになる因をつくってはいけません。このおごりや、怒りの気持ちを持つことは、「恥ずかしいこと、恐ろしいことである」と、わが心に呼びかけ、戒めていくならば、必ずや大きな安心の境地が得られることでしょう。


令和2年大晦日の『歳晩会・除夕の鐘』は予定変更します。

令和2年の大晦日に開催予定だった『歳晩会・除夕の鐘』は、師走に入ってのコロナ感染拡大を受けまして、檀信徒や地域の方々のご参加を中止し、お寺の関係者によって修行することに致しました。

皆様が楽しみにされていました、人気そば処「はづき」さん(尾道市原田町)提供の「年越しそば」や、妙皇寺とん汁の振る舞いも残念ですが中止させていただきます。こども用の御守り(108個限定)については、年末年始のご参詣の際にお申し出下さい。

令和3年大晦日の「歳晩会・除夕の鐘」は、コロナが終息し、皆様と共にお勤めできますことを関係一同でご祈念申し上げたいと思います。

文章:粟津英一郎(広報部委員)

仏事の豆知識 ~数珠について~

仏事には欠かせない「数珠」。今回は、その由来や意味、持ち方について簡単にご説明いたします。

1、数珠の起源
数珠の起源は諸説がありますが、発祥はインドと言われており、お釈迦様(釈迦如来)の助言により始まったとされています。
当時、国中に疫病が流行し困っていた国王に、108個の木けん子(もくけんし・けんは木へんに患)の実を繋いで輪をつくり、いつも手にして「仏・法・僧(三宝)」と唱えながら、その実を一つ一つ繰りなさい。そうすれば煩悩が消え、災いもなくなり、あなたの心身も楽になるでしょうとの教えに始まったそうです。日本には仏教伝来とともに伝わりましたが、一般の人々に親しまれるようになったのは鎌倉時代以降のことです。
2、数珠の意味
数珠は、「珠数」とも書きますが、法華信仰の数珠の「珠」があらわす意味について触れてみたいと思います。図のように、法華経を説かれる「①釈迦如来」、そしてその説法を聞きながら証明(讃辞)する「②多宝如来」が大きな珠です。また、釈迦如来の命を受けて末法の世の中を救うとされる「③~⑥四菩薩(上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩)」は、釈迦如来の側に配置されています。それらの珠を除いた輪の中にある残りの珠が108個(煩悩の数)あります。房は右手に2本、左手に3本あり、左手の「⑦数取り珠(10個)」は、お題目を唱える際に使用します。残りの4つの房は、東西南北の守護神である「⑧~⑪四大天王(毘沙門天王・持国天王・増長天王・広目天王)」を意味します。
3、数珠の持ち方
最後に数珠の持ち方(正式・略式)についてご説明いたします。
◎正式の持ち方
  1. 3本房を左手中指の第一関節にかけ、一回ひねってから、2本房を右手第一関節にかけます。(写真①)
  2. 一度ひねることで、合掌すると輪が二連になって手の中に納まります。
  3. 合掌した際に、房が外側になり、きれいに垂れ下がります。(写真②)
◎略式の持ち方(焼香など作法で右手を使う場合)
  1. はじめから数珠を二連にして、左手の親指とひと指し指の間にかけます。(写真③)
  2. そのまま合掌します。
  3. その後、数珠を左手にかけたまま、焼香などの作法をします。(写真④)

以上、簡単ですが、数珠についてご説明をさせていただきました。由来や意味を理解した上で、数珠を正しく持ち、お題目を唱え、法華経の功徳をいただいてください。

檀信徒の声

護持会副会長 佐藤泰章氏


私が妙皇寺のお寺様と直接会話させて頂いたのは、 六年前に父が他界した時でしたが、急な事にも関わらず 広島迄来て頂いた時でした。枕経から葬儀、火葬場まで一連の式を通して参列者の多くの人から「すごく立派な葬儀でしたね」と絶賛して頂いた事が強く印象に残っています。又、遠方にも関わらず毎週七日参りもきちんと参って頂き、今でも大変感謝しております。

それから約一年後、尾道市原田町梶山田に広島の海田町から移住して参りましたが、習慣・風習等の違いに戸惑いつつも、馴染むまでにさほど苦労も時間も要しませんでした。何故なら住居が有る梶下地区の人々は義理人情が厚い人が多く、更に有識者の方々も多いので、色々な事を噛み砕く様に教えて下さいました。大変感謝しております。

移住から約二か月後に妙皇寺の護持会へ参加させて頂きましたが、仏事に関する私の引き出しは空っぽでした。最初は初物・初体験の連続で殆どの事が解らない事だらけでしたが、ある有識者の方から「いつ迄も解らんって言う者は覚える気がな~んで」と言われて目から鱗が落ちた思いでした。それからは先輩方の言動の一部始終に聞き耳立てて理解しようと頑張って参りましたが、なにしろ元が空っぽでしたので、それなりに一通りの流れを掴みつつある所です。護持会は年間を通しての活動と突発的な事への対応等、色々と活動されています。いつも感心させられる事は、護持会の皆様のみならず、妙皇寺の檀家様の殆どが妙皇寺の檀家であることを誇りに思っておられる事です。中でも護持会の方々はその思いが強いように思われます。ある日、会館の改修案で話をされている時に、私がつい「法律に関しての縛りで出来ないのでは」と意見を言った時に、「昨日今日入って来た者に何がわかりゃー」と 一喝されましたが、今まで一生懸命に守って来られた熱い思いがこもっていた言葉であった事をこの頃ようやく理解できたような気がしています。特にその方だけでなく長い間の活動を通じて妙皇寺は我々が守るという方々が多いように感じています。

そういう思いに対してお寺様側も応えて下さっていまして、先日、全国版の日めくりカレンダーの『スター坊主めくり』で背景に護持会並びに関係者を使って頂き、私も晴れてメジャーデビューさせて頂いております。更に題字が「絆は一日にしてならず」で 、檀家・地域の方々を大切に思って頂いている一端だと感じられますし、檀家・地域の皆様との良い関係が長い間続いてきた事と改めて思われます。私もその中に居させて頂いて良かったと思っております。まだまだ未知な部分が多く有るように思われますので徐々に覚えて参ろうと思っております。

寄稿コーナー 第2回

「妙皇寺様に入檀させて頂いて」

藤井 健二郎 氏

私は、令和二年三月十五日に入檀させて頂きました。きっかけは、昨年十二月に父がガンであることが発覚し、病院では入院することを断られ預かって頂ける施設を探している時に「寂静の杜」の存在を知り、訪問させて頂いた時です。

私は、全国転勤の会社に勤務しておりなかなか帰省できないので、不謹慎と思われるかもしれませんが帰省した時にできるだけ準備をしておこうと動いておりました。特にお墓の問題は父も懸念していることを知っていましたが、仕事も忙しくなにも関わっておりませんでした。

連絡もなく訪問したにも関わらず、当家の色々な問題の相談にものっていただき、何から手をつけたらいいのか解らなかった私にとっては本当にありがたかったです。そして、父の葬儀もお願いすることを決意し、入檀させて頂きました。

父は、余命半年と宣告されておりましたが、がんの進行は早く、五月一日帰らぬ人となってしまいました。亡くなる少し前に、いつ亡くなってもおかしくない状態であることをお伝えすると、「何時でも構わないので連絡して下さい」と言っていただき、遺体も妙皇寺で安置していただけるとおっしゃって頂きました。父の死後直ぐに連絡すると、葬儀社も決めていないと知ると手配までしていただきました。そして、無事葬儀が終わったあと義兄に「普通はあそこまでしてくれないよ」と言われ、初めて喪主を務め何もわかってなかった私ですが、本当に入檀させていただいてよかったと思うと同時に心から御礼申し上げたいです。

実家を離れて三十七年まだ色々な問題がありますが、一緒に考えアドバイスをしていただけたので、安心して父や先祖の供養をおこなうことができています。

リスタート

妙皇寺新住職夫人 白山佐久良

私がこの福山の地で新しい生活を始めて二十一年が過ぎました。生まれ育った埼玉県大宮市(現・さいたま市)での時間を、あと少しで越えてしまうと思うと時の重さを感じます。
当初、右も左も分からない私は、何から始めたら良いのか深く悩み、涙する夜もありました。悩んだ末に新しい家族にお願いをしました。
「自転車を買ってください!」
翌日、私は旅に出ました。埼玉では、少し自転車で走れば何でもある所に住んでいましたので、その感覚で、松永へ向けて自転車をこぎました。走って走って、やっとコンビニが一軒。でもコンビニではこれからの生活には不十分なので、さらに走り、踏切を渡ると、やっとスーパーやホームセンターが見えてきてホッとしたのをよく覚えています。自分が通った道や何軒かまわったお店の場所や売り場を必死で頭の中に叩き込みました。

帰り道、「迷いそうになったら、川伝いに帰れば良いよ」と教えてもらっていたので、その言葉を頼りに恐る恐る帰りました。お寺に着いた時、自転車のカゴの中には大根一本だけがありました。(※この話は白山家では今でも語り継がれています(笑))

この二十年間は、寺族はもちろん、檀家の皆様、近所の方々に支えられながらお寺の事を覚え、三人の子育てに必死に過ごしてきたように思います。今は感謝と再決意の気持ちでいっぱいです。古い中にも新しいことを、新しい中でも古きよきところを取り入れ、「お寺に行ってみよう」「お寺に来て良かった」と皆様に感じていただけるようなお寺づくりを目指していきたいと思います。

今後の人生も、これまでのように経験を積ませていただき、檀家の皆様と共に過ごさせていただけたら有難く思います。ご指導ご鞭撻の程、どうぞよろしくお願いいたします。また、今回私のような者に原稿を書く機会をお与え下さり誠に有難うございました。

妙皇寺墓地をご利用の皆様へ
~妙皇寺専用のバケツ・柄杓の常備について~

皆様には、平素から墓地運営に格別のご理解を賜り誠にありがとうございます。

さて、当山の墓地には4箇所の水汲み場が設けられています。近くのバケツ置き場には、皆様の供養への篤い思いから、多くの私物のバケツや柄杓を置かれているように思います。そのために自分の用具が見付け出し難く、また他所へ紛れ込み不快な思いをされている方がいらっしゃるとの報告を受けております。

この度、そうした状況を解消するため、用具入れ各所へ、どなたでもご自由に利用していただける「寺名入りのバケツと柄杓を常備」することが決定いたしました。これまで当山の対応が遅れ、不便・不快な思いをされた皆様には深くお詫び申し上げます。

つきましては、年内に墓地利用者共用のバケツ・柄杓を用意させていただく予定ですので、常備後は、私物のバケツ・柄杓などを速やかにお持帰りいただきますようお願いいたします。

尚、常備後も共用バケツを利用せず、各ご家庭のものをご使用される場合は、その都度、お持ち帰りいただきますようお願いいたします。

○共用バケツ・柄杓の常備予定日…令和2年12月末
○お持ち帰りされなかった用具類…令和3年春季彼岸までにお持ち帰りでない用具は、当山の方で整理し、処分させていただきます。

文章:向井信之(事務部長・広報委員)

新しいスタイルの情報発信 「ライブ中継を開始」

令和2年は「新型コロナウイルス」の影響でほとんどの法要・行事・会館利用は中止するか感染拡大防止のために大きく形を変えて実施されました。しかし、多くの方がお寺に集まることを制限されたことを機会に新たな情報発信手段としてユーチューブによる「ライブ中継」を初めて導入・実施することを責任役員会・運営委員会で決定しました。

中継システム機材の調達は既にある「妙皇寺事務システム」との連携やメンテナンス面でメリットが大きい「光明システム」を導入し、機器操作やカメラ対応は広報部委員が担当することになり、初めてのライブ中継に向けて奮闘が始まりました。

昨年7月にラン配線工事と通信テストを完了し、8月のお盆迎え法要、ご先祖総供養・せがき法要の中継が円滑に出来るよう広報部で「操作マニュアル」を自作し、テスト法要の実施、本番のライブ中継予約、当日のライブ中継対応など徐々に準備を整えていきました。 

関係者の協力により、「お盆法要(8月13日~16日の4日間)」、「永代頓写大法要・秋季彼岸法要(9月20日)」、「宗祖御報恩会式(11月23日)」の大きな行事を滞りなくライブ中継することができ、安堵いたしました。また、8月下旬には喪主が関東にお住いの方の通夜・葬儀もライブ中継するなど回を重ねるごとに自信もついてきたところです。

ライブ中継はパソコンやスマートホンで妙皇寺ホームページやQRコードから簡単にアクセス出来るほか、ホームページの「過去動画」一覧から希望の動画を後日視聴することが可能です。

寺報やお寺からのお知らせはこれまで紙ベースまたはホームページでの発信でしたが、今後は映像(動画)をプラスして、檀信徒の皆様により多面的な情報をお届け出来るよう努力して参ります。

法要のライブ配信
お手持ちのスマートフォンなどでQRコードを読み込むか、ここをクリックしてご覧ください。

過去の配信はこちらからご覧いただけます。






文章:佐藤 泉(責任役員・広報部委員長)

ご先祖総供養法要・盆せがき法要

今年のお盆経・お盆行事は新型コロナウイルス感染症対策として、例年と異なる対応をとり、行われました。八月十三日(木)十八時から「お迎え盆法要」は、初盆の方に限定して行いましたが、大変な状況の中を予想以上に大勢の方に参加していただきました。その他の方の対応策として、法要をライブ中継しました。

また、例年地元以外の地区は七月中に、地元は八月一日~十一日に行っていたご自宅への「お盆経廻り」を中止しました。その代わりに、本堂で全檀家の「ご先祖総供養法要」ならびに「盆せがき法要」が行われました。三密を避けるため、法要は八月十四日(金)に原田地区、十五日(土)は本郷地区、十六日(日)は原田・本郷以外の地区と三日間に亘って行われました。三日間とも猛暑の中での法要となりましたが、初盆の方は本堂内で、その他の方は会館又は本堂前の焼香所で参拝をしていただきました。お参りいただいた皆様の熱心な姿からご先祖を大切に思われる気持ちが伝わってきました。この三日間の法要も遠方や事情で参拝できない檀家さまの対応策として、ライブ中継をしました。

過去に経験のないことでどうすればお盆経・お盆行事が檀家の皆様に安全で安心していただけるものになるかを念頭に置き考えていきました。初めての試みの法要のライブ中継も初めの三日間は百~百五十回のたくさんの視聴がありました。ご覧いただいた方から「法要の様子がよくわかりいろいろと参考になり良かったです。」という声もいただきました。困難な状況の中でのお盆の行事でしたが、一日も早くコロナが収束してくれ普段を取り戻せたらと願います。






文章:寄高基生(広報部委員)

永代頓写大法要・秋季彼岸法要

去る九月二十日(日)、春から延期されていた永代頓写大法要が秋季彼岸法要と併せて執り行われました。九月中旬まで続いていた残暑もやっと落ち着き、風が爽やかに感じられる一日でした。和讃が奉納された後、法要が始まるのが恒例でしたが、今回は中止となり淋しい思いがしました。

梵鐘が打ち鳴らされ、本堂に供えられた塔婆の前で定刻に法要が始まりました。千数百本にものぼる塔婆は、数か月に亘って一本一本丁寧に書いてくださったもので、有り難いかぎりです。途中、住職による各家先祖の志霊読み上げの際には、参拝者皆が耳を傾け、その後読経の続く中、一人ずつ経木を持って供養の焼香をささげました。

法話は、長崎県南島原市より、妙法寺副住職、吉田恵徳上人をお招きし、お話していただきました。身近に感じたのが、ある檀家さんのお話でした。仏事に熱心だったお母さんが怪我で入院されたのを機に、若夫婦が仕方なく受け継ぐことになった。戸惑いながらも続けていくうちに、懇意にしている隣家の主人が「ありがとう・・(奥さんの名前)」と言われている事に気付き、自分も実践する中(最初は勇気がいったそうです)で、夫婦の会話や笑顔も増え、仏事に対しても積極的になられたという事でした。名前を呼ぶのに抵抗がある方は「ありがとう」だけでもいいと思います。まず、檀家さんの家庭から「ありがとう」という感謝の言葉を発していきましょう。

今年はコロナ禍の中で法要形式も変更を余儀なくされ、慣れない作業も多々ありましたが、皆様のご協力により無事法要を終えることができました。多くの方々が安心して参拝できる日が早く来るよう願っています。 

お盆法要から始まったライブ配信を今回もさせていただきました。まだまだ試行錯誤の段階ですので、ご意見・感想をお寄せ戴ければ幸いです。




















担当:岡森妙子(広報部委員・事務局)

宗祖御報恩会式

去る令和2年11月23日に、第739回目の日蓮大聖人御報恩会式が執り行われました。檀信徒が一堂に会する行事は、現住職が導師をつとめる最後の法要で、張り詰めた雰囲気の中、午後1時に開式されました。お陰様で、コロナ禍でも前年に近い多くの檀信徒の皆様にお参り頂きました。感染拡大を防止するため、会場は本堂と会館に分けられ、会館のプロジェクターには臨場感ある法要が中継されました。席の間隔や換気にも充分に気を配るなどの対策も施され、お参りが出来ない方や遠方の檀信徒にはライブ配信を行いました。

法要後には、住職から住職退任の挨拶があり、昭和62年の法灯継承以来、30有余年の永き思い出や、檀信徒の方々へ感謝の意が述べられ、今後は新住職を影から支え余生を過ごしますと語られると、感極まり涙する参詣者もおられました。住職挨拶後、本堂中央に、副住職、佐久良夫人、孫の晴賀(はるか)さん、順祥(じゅんしょう)さん、留衣(るい)さんも整列され、住職へお孫さん3名から花束が贈呈されました。そして孫の晴賀さんからは感謝のお手紙を読み上げられました。続いて、令和3年1月1日から住職に就任予定の副住職より挨拶があり、就任に至る経緯と、檀信徒の方々へ変わらぬご協力をお願いされました。

講演は、妙皇寺体操スクールで長年指導されている細胞改善トレーナーの桝田滋久氏に、今、世界中で注目されている「腸内環境の重要性」と題して健康寿命を延ばすお話をいただきました。皆さんが非常に興味のある内容で、また簡単に取り組める運動などもあり、メモを取りながら聴取される方もおられ好評でした。

最後に役員を代表して、宇野筆頭責任役員より、謝辞を述べられ、12月31日の14時から歳晩会・15時から除夕の鐘が、住職最後の導師としてのおつとめとなります事をご報告され、閉式いたしました。住職挨拶、講演内容は、妙皇寺ホームページにあるライブ配信の「過去動画」を是非ご覧ください。











文章:石井幹夫(広報部副委員長)

妙皇寺活動写真館





























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湯浅氏が写経し寄贈された法華経方便品一節